zencro’s diary

乱歩奇譚SS

七草の春

1.

ひととおり掃除が済んで、今夜は何にしようかと冷蔵庫の扉に手をかけたとき、ドアで鍵を開ける音に続いて、「ただいまぁ…」とくたびれた声が聞こえてきた。
「おかえりなさい」と玄関に顔を向けたところで、おや?と壁の時計に目をやる。
「今日は早いですね」
「うん。なんかねー」スニーカーをのろのろ脱いだナカムラは、背後を通り過ぎコートも脱がずこたつにもぐり込んだ。あわててこたつのスイッチを入れようとそばによると、「ちょっとくらくらするんだよね。仕事になりそうもないんで、報告書あす回しにさせてもらって帰ってきちゃったー」と大儀そうにこたつの天板に頭を置く。
「風邪でしょうか?」
「んー…ひゃっ」ひんやりしたてのひらの感触にナカムラは身をすくませる。
「ちょっと、測ってみましょうか?体温計は…」
「あー、テレビの右の、いちばん上の引き出し…たぶん…」
「あった。ちょっと、失礼しますね」コートと上着を脱がせ、シャツのボタンを外して体温計を差し入れる。
ピピピ
「…熱はそれほど高くはないようですね」エアコンをつけ、ナカムラの体に半纏をかけた。「あったかいもの作りますので、食べたらゆっくり休んでください」半纏の重みだけで崩れそうな体を心配そうに見やりながら、台所に立つ。
「何にしようか…あ、そういえば」冷蔵庫の扉を開けて、パックされた野菜を取り出した。

トントントン コトコト
聞こえてくる台所の音に安らぎをおぼえるナカムラ。半纏の重みも心地よい。
「誰かいるっていいなぁ…」

「え、何か言いました?」
すでにナカムラは眠ったようだ。


「…ナカムラさん」
ためらいがちに肩を控えめに揺さぶる。
「うーんん…」ナカムラはうなり、「あ、寝ちゃってたか、ごめん…」
前髪の奥、うっすら眼を開けた。

カガミは思わず息をのむ。

このままずっと彼を閉じ込めてしまえたら

一瞬の後、危うさを覚えてハッと我に返ってナカムラの肩から手を放す。
「…起こしてすみません、ごはんできましたので」
土鍋を鍋敷きの上に置き、ゆっくりふたを開ける。ふわっと湯気が立った。
「わぁ、おかゆだー」
「けさスーパーに行ったら七草のパックが山積みになってて、買ってみました。本当は朝食べるものらしいですが、ちょうどよいかと思って」
「そういえば明日は、そっかぁ。嬉しいなー、おかゆ作ってもらうなんてすごい久しぶりだ」
ナカムラはよそってもらった椀からひとさじ口にする。
「あ、熱いので気をつけて」というのと「あちっ」とナカムラがいうのが重なった。
「すみません、すこし冷ましてから食べてください」
「あー大丈夫、へーきへーき」とすぐまたひとさじすくおうとする。
「ああ」思わずナカムラの手から椀とさじを奪い、すくったかゆにふうふうと息を吹きかけナカムラの口元へはこぶ。
「おいおい、子供じゃないんだしさ、」
ナカムラが不平を言うのを構わず、先のひと口を食べ終わったとみるとまたひとさじすくい、ふうふう。
「はい、どうぞ」
「もー」と言いつつ、すぐあきらめ、あーんと口を開ける。
ほどよい加減にさまされたかゆは思った以上に美味くて、椀はすぐに空になった。
「勝手に溶き卵入れてしまいましたけど」
「ああ、おいしいよ、ありがとう」
「もう一杯よそりますか?」
「うん。君も一緒に食べよ」
「はい…あちっ」
「あはは。ふうふうしてやろっか?」
「…平気です」「ほら、よこしなよー」「大丈夫ですってば」
「強情だなあ。おれよりずっと猫舌のくせに」
ナカムラは一瞬の隙をついて、ひょいとさじを奪う。
ふうふう、と吹きかけ「ほい、あーん」とさじを向けた。
「…あーん」結局、ナカムラには敵わない。

布団に埋もれて眠るナカムラ。はみ出た細い手首を布団の中に戻してやる。

いつまでも、元気でいてくれますように

起きている時よりもずっと儚く見える寝顔を眺めて、何処へともなくカガミは祈った。

2.

ナカムラは深夜ぱかっと目が開いた。突然眠気が飛び去ってしまったようだ。
夕方までのしんどさは消えて、ちょっと暖かすぎるふとんの重みを強く感じる。
そういえば、おれよく憶えてないんだけど、しんどくて早めにかえってからどしたっけ?
まずカガミにただいま言って、こたつに入って。カガミが心配して熱計ってくれて、そのあとウトウト寝ちゃって。そうそうカガミがごはん作ってくれて、おかゆをあーんって…

なにやってんの、おれ?

何だよ、いい年した男があーん、て。そんなの小さい子どもと親とかさ、恋人同士や新婚早々の夫婦くらいなもんだろ?

そう言いつつも、ナカムラの頭の中では恋人同士やら夫婦やらの単語がやたらぐるんぐるんまわり巡って、余計目が冴えてきてしまった。

まずいなあ、明日は万全な体調で職場行かないとまずいのに。

布団の中で何度も寝返りをうって、快適な体勢をとろうと頑張っていると、
「ナカムラさん、眠れないんですか?」と問いかけられた。声の方を向くと、カガミが身を起こしてこちらを見ている。
「悪い、起こしちゃったか」
「どこか辛いですか?熱が上がったのかな。待っててください、取ってきます、体温計」
「あ、いやいや待ってカガミ」あわててカガミの寝間着の裾を引っ張る。「あのさ」ナカムラはむくりと起き上がった。聞こうか聞くまいか、一瞬悩んで口を開く。
おかゆ食べた時の、あーん、て、やっぱ変だったよな」
「は?ああ晩御飯のときの」
「具合悪いせいもあったけど、カガミと長くいすぎて距離感おかしくなっちゃってたみたいだな、おれ。気持ち悪かったよな、ごめん」
「そんな、そもそも俺の方からしてましたし」
「カガミはさ、具合悪いおれに食べさしてくれるためだしね、ちょっとやりすぎ感はあるけど。でもねえ、おれみたいなのにあんなことされたらさ、正直なところ気色悪いでしょー」決まり悪そうに猫背になり目をそらすナカムラ。
「なんとかハラスメントみたいになっちゃうの嫌だからさ、おれが調子に乗ってたら、遠慮せず怒っていいからね」
「ナカムラさんの振る舞いをそんなふうに思ったこと、俺、無いです」きゅ、と寝間着のズボンを掴んでカガミは呟く。「ナカムラさんは、いやだったですか?俺にあーんされて」
「えっ、おれは」
「気持ち、悪かったですか?」
「いやぁ…」
カガミは、ぐいと顔を上げた。
「俺は、気持ち良かったです!」
「…は?」
「俺は、ナカムラさんから声かけられたり振り向かれたり、肩に手をかけられたり背中を押されたり、…頭を撫でられたり、手に触れられたりするのが、とても気持ちよくて好きです。あーん、ってしあうのも。ナカムラさんはどうですか?俺がこんなふうに思っていて、気持ち悪いですか?」
「うーん、ま、気持ち悪いってわけじゃ…」
あれ?確かにあーんされたとき面くらったけど、気恥ずかしいっていうか、こそばゆいっていうか、そういえばけっこう気分良かったよう…な?
「…すみません、俺も調子に乗りすぎました。ナカムラさん、とりあえず今はいったん熱計って休んでください」立ち上がり、カガミは着替え、パーカーを羽織った。
「え、カガミもう起きんの?」
「ちょっと走って、頭冷やしてきます」
ナカムラは思わず大声で引き止めた。
「待って!待って、あのさ、」驚いてカガミは足を止め振り返った。しかし引き止めたはいいものの後に続く言葉が思いつかない。だがふと、思いついた。
「なんか眠れそうになくてさ、よかったら少しの間、目の上にてのひら置いててくれないかなー」
「はあ、まぶたの上に、ですか?」
「そうそ、子供のころ、眠れないときは親によくそうしてもらってたんだ。けっこうよく効いたんだよ」
そう言って、再び布団に横になる。
「…では」カガミは枕もとにあぐらをかき、目を閉じたそのまぶたの上にてのひらをかぶせた。大きなてのひらにすっぽり覆いつくされ、細い顔は上半分ほとんど隠れてしまった。

やがて聞こえてくる静かな呼吸の音。
「眠ったのかな…」カガミはてのひらをどかそうとした。
が、突然手首をつかまれる。「うーん、もうちょっとー」
「ナカムラさん、眠っていなかったんですか?」
「うん、なんか寝ちゃうの勿体なくてさ」つかまれた手の指の間から、愉快そうな色の瞳が覗いている。「カガミの手、気持ちいいなー」
「えっ」
「おれも、カガミに触ってもらうの、すごく安心する。気持ち良いよー」ナカムラはそう言って笑みをこぼす。
「……」
「カガミ?」
「嬉しいです。ナカムラさんも、そうだなんて」
「でさ、もうすこしそこにいてくれる?」
「はい」カガミの表情は闇に紛れて見えないが、答える声は少し震えている。

夜明けには、まだ遠い。