zencro’s diary

乱歩奇譚SS

年の瀬

「カガミ、面会だ」
何度も読み返した文庫本から目を上げ、カガミは看守の方を見上げた。
「はい。申し訳ありませんがお断りしてください」
またか、という顔をして看守は遠ざかる。カガミは再びてもとの本に目を落とした。
(おいおい、まーた追い返すのかい、カガミくん)
思わぬ声に、驚いて本を取り落とす。表紙を上に開いたまま落ちた文庫を、カガミはハッと気づきあわてて拾い上げる。どうやら、ページは折れずどこも傷まなかったようだ。ホッとして息を吐く。
(なんだ、そんなに大事な本なのかい?)
「だって、これはナカムラさんが差し入れてくれた本だから」言ってすぐ、先程からこの声はいったいどこから聞こえてくるのだろうと辺りを見回した。
(わたしだよわ・た・し)
扉の方で、さっきカガミに面会の連絡をしにきた看守がこっちを見ていた。
「え?あ、あの」
(んもう、じれったいなぁ~)
看守は、がさっと紙袋を被る。
「!君は、影男か」
「そうそう、久しぶりだねえカガミくん」
「いったいどうやってここへ…ああ、変装して潜り込んだのか。何しに来た」
「そうそう、私に潜入不可能な場所は無いのだよ。いちおう怪盗を名乗っているのでねぇ、現怪人二十面相のカガミくん」いつしか独房の中に入り込んでいた影男は呑気な口調で答える。
「やめてくれないか、俺はたった一人の肉親も守れず、自分の職業に見切りをつけて生きる意味も喪った、ただ極刑を待つしかない犯罪者、敗残者だ」
「ふぅむ、そして君は足しげく通う先輩刑事の面会も断り続けている」
「もう、あの人は俺に関わらない方がいいんだ。望みの無い種子に自分の貴重な時間を費やして、自分の人生をこれ以上台無しにすることは無いんだ」
「なるほど。君ももう未練はないのだね?まだ相当その本に執着しているようだけど」
「この本はもう俺の汚れた手が触れてしまった。やめようとしたんだ、でも止められなかった、何度も何度も読んでしまった。今ではもう俺の体がこの本に染みついて、この本は俺の一部になってしまった、もうナカムラさんに返すことはできない。かと言って捨てることもできなかった」
未練が無い訳がなかった。生きている限り、カガミはナカムラへの執着を捨てる事などできない。ナカムラがカガミの蜘蛛の糸の端を掴んでいる限り、カガミの方から糸を手放すことなどできない。
「はやく、俺を見限ってくれればいいのに、あの人はいつまでたっても俺に寄り添おうとし続けて、俺を解放してくれない」俯き声を絞り出すように言いながら、カガミは文庫本を抱き締めた。
「カガミ」
急に聞こえてきた懐かしい声にビクリと肩を震わせて顔を上げる。
ああ、久しぶりに見る懐かしい姿、細身にだぶつくスーツ姿、胴を抱えて猫背の、長めの前髪から上目遣いに覗く両眼。「ナカムラさん…」
「本、大事にしてくれてありがとう」目の前の男はナカムラの姿で目を糸にして寂しそうに微笑む。「たまには、面会にも応じてくれよ」
カガミは口元が緩み、見開いた目から、のどの奥から、あたたかく切ない思いがほとばしりそうになった。
…いや、そんな。ナカムラさんであるはずないじゃないか。
「やめろ影男、すぐその変装を解いてここから出ていけ!」カガミは思いを振り切るように目を強くつむって頭を振り怒鳴る。あり得ないことなのにむくむく期待が膨らみ、うかうかと騙され悦んでしまいそうな自分が憎く、おぞましい。
「やれやれ」
残酷な男はあっさり紙袋を被りなおす。
「では、これだけ伝えておくよ。でないとアケチ君にかかと落としの上に水をぶっかけられるのでね。ナカムラ警部は職務をこなす傍ら、君の刑が軽くなるよう駆けずり回ってほとんど休息もとっていない。周りがいくら諭しても聞きやしないんだよ、昼も夜も寝ずに断罪に明け暮れてた君みたいにね」
カガミは胸の奥を締め付けられる思いがした。
「君が二十面相になったのは自分に責任があるんだ、と言ってね。君が面会に応じないのも、自分がふがいないせいだ、と」
「そんな…」
「もちろん、君が面会に応じるかどうかは誰にも強制はできない。今後も自分で考え選べばいい」いつのまにか影男は看守の姿に変わっていた。
「わたしも、大事な人を守れなかった過去があるしね。これ以上きみの不興をかうつもりはないよ」そう言って、看守は再び去っていった。


「や、ひさしぶり」
透明な壁の向こうに、やつれてひと回り小さくなった姿があった。
「寒くなったね。どう、元気だった?」
「…はい」
「やー、良かったなぁ、今日もまた断られちゃうかなって思ってたからさ。会いたくないほど嫌われちゃったかな―って」
会いたかった。
面と向かいあらためて自覚してしまう、会いたくない訳がないじゃないですか。でも、あなたも警察官なら犯罪を憎んでいるはずだ。そして俺は、何人も殺害した凶悪犯だ。俺が自分を憎んでいるように、あなたも俺を憎むでしょう?その筈でしょう?もう見放してください、突き放してくださいよ…ナカムラさん。

「顔見て安心したよ。いろいろ想像しちゃってさ、会いたい気持ちが強いばかりにおれの記憶にあるカガミが現実より美化されすぎちゃってんじゃないかーなんて。でもよかった~現実もちゃんとイケメンなカガミでさ!あはははー」
「…もう勘弁してください」
「カガミ?」
もう、だめだ。だから会わなければよかったのに。今日も断ればよかったのに。でも、休みなく疲れ切って、それでもここへ来て、何度断っても来てくれて、手間かけて面会の手続き何べんもして、その分体を休めればよいのに、やつれてしまって。そんなナカムラさんを俺は想像して、そんなナカムラさんの姿を確認したくて。
「おれにはあなたに会う資格なんて、とうに無いんです」
「カガミ」
「なんで、早く見限ってくれないんですか」
「……」
「俺は卑しい。今日だって、ナカムラさんが俺の事を心配して疲れ切っているのを確認したくて、それで面会を断れずにこうして会ってしまった。こんな俺に、もう時間を無駄にしないでください」
ああ、言ってしまった。カガミはナカムラと目を合わせていられず、顔を背けそのまま席を立とうとした。
「逃げるな、カガミ」
今までと一変し怒気を含んだ声に、振り返る。かつて銃を抜こうとするカガミをおしとどめた顔がそこにあった。
「わかったよ、お前は俺と会いたくない訳じゃなかったんだな。そうだよ、おれはこのまま何もしないでお前がずるずる刑死するなんてまっぴらだからさ、回避する可能性があるなら何でもするし寝ないで駆けずり回ったって構わないよ。これは、俺がそうしたいからしてるんだ。お前にどうこう言われる筋合いは無いよ」
「…だって、それじゃあまりに」
「この世はホントままならねえよなー。お前も、おれがいなけりゃもっと早くカタ付ける事が出来てたかもしれないよなー。でもおれはね、やっぱりお前と会えて、一緒に仕事して良かったと思ってしまうんだ。これからもお前と会いたいし、いろんな話がしたいよ。だから、資格とか見限ってくれなんて言わないでくれよ」
「なんで、そこまでするんですか」つい、尋ねてしまう。
「おれが今まで『仕方ない』って置いてきてしまった事を、もう一度見直したい、取り戻したい、と思ったんだ。それ、思い出させてくれたの、カガミなんだよ」

「…あの」
「うん」
「本を差し入れてくださって、ありがとうございます」
「ああ、カガミ読書好きだろ?また本持ってくるよ」
「あの、」
「うん」
「また、来ていただけますか」
「何度だって、来るよ」

何が起こっても時はかまわず進み、今年も同じように暮れて行く。
「来年もよろしくな、カガミ」
ナカムラが、また目を糸にして笑った。