zencro’s diary

乱歩奇譚SS

休息・幻

休息

傍目には淡々と、諸々の手配や手続きを終えた後、カガミは休みなく出勤していた。
「警視、少し休まれた方が良いですよ。わたしらでなんとかしますから」
「いえ私は大丈夫ですから。それよりナカムラさん、例の件ですが」
ナカムラのすすめにも丁寧に言葉は返すものの決して応じず、とりつかれたようにカガミは職務に没頭する。

ある日、少年探偵からカガミが極度に疲れているようだと連絡が入った。
(そりゃ、まあねぇ)と思い通話を切って一課に戻ると、立ち眩みを起こしたカガミが数人の同僚に支えられているところだった。
「…どうしました?」
「自分たちに指示を出している途中で、急に」
配属されたばかりの新人刑事が、戸惑いを含んだ声で説明し始めたところで、カガミが弱弱しく遮った。
「すみません、もう大丈夫ですから」
カガミは頭を振りつつ、彼らに詫びて指示伝達を再開しようとする。
「ああ警視、ちょっとその前にお話があります。隣の小会議室へご一緒願えますか」
言葉は丁寧ながら有無を言わせぬ態度で、ナカムラはカガミを半ば引きずるようにして部屋から連れ出した

「警視、しばらくここで休んでてもらえませんか」
「ナカムラさん、私の体を気遣って下さるのはありがたいですが、そんな時間ありませんよ…お話はそれだけですか?戻りましょう」
「いいから座れって」
ナカムラは出て行こうとするカガミの腕を掴んで、強引にソファに腰かけさせた。
「お前がそんなフラフラしてたら部下の志気にさわるだろ。休むべき時は無理にでも休む、お前もそう周りに言っていたじゃないか」
「…でも、今は本当にそんな事を言っている場合では無いでしょう」
周囲に誰も居ない事で、2人の物言いが以前の先輩と後輩の口調に戻っていた。
「自分が何かすべきとか、どう振舞うべきとか、考えないでいい」
「しかし、」
「ひとまず、おれの言う通りにしろ」
ナカムラは言葉を遮り、カガミの顔を覗き込む。
「大きく息を吸って、はいて…そう、それから、目を閉じて」
ナカムラは瞼を閉じたカガミの額を軽く指で押して、そのまま会議室のソファに横たわらせた。
「しばらくこのままでいろよ。起きるべき時にはおれが起こしてやるから。」
掌をカガミの目の上に覆いかぶせて、努めて穏やかな声でナカムラは言った。
疲れ切っていたのだろう。カガミはそのまま、あっさり睡魔に囚われて寝息を立て始めた。
「…せめて、眠っている間は何もかも忘れていられるといいんだけど」
寝付いたのを見届け、ナカムラは彼のかわりに仕事を片付けるべくその会議室を出て行った。

一課に入る直前、再び探偵から着信した。
聞こえてくる内容に目を見開く。短い通話を終え、携帯を閉じた後も暫く立ち尽くしていたナカムラは、やがてのろのろと銃器保管場所へ歩いて行った。

あのまま、傍にいられたらよかったのに。

***

カガミが逮捕された。
よくよく考えれば、カガミがこうなる事を予想できない筈は無かった。だが想像だにしなかった。迂闊に見逃していたわけでもなかった。ナカムラは、カガミ自身が犯罪者となる可能性など、彼を疑う選択肢など、はなから考えもしなかったのだ。カガミに関してナカムラは、全くの盲だったと言って良い。
だが、現実にそれは起こった。

コンクリート工場で、アケチに敗北した現二十面相の仮面の下からカガミの顔が現れるのを、ナカムラは呆然と眺めていた。
一部始終が終わり、署に連行する車の後部座席に、ナカムラとカガミは隣り合って座る。
「それでも、ナカムラさんは俺を見捨てたりしないでしょう?」
ナカムラは窓の方へ顔を向けて押し黙っている。
カガミは構わず話しかける。
「俺には、もう何もありません。命をかけて守るべき妹を奪われ、正義を守る情熱も、警察への不信のせいで消えてしまった。俺は何も生まず、ただ無為に息をするだけの木偶人形です。いや、それどころか、放っておけばまた次々に悪の種が芽吹いて世間に害をなすかもしれない。でも、そんなふうになり下がってしまった今も、あなたの前にいれば、俺は辛うじて人に戻れる気がする」
金属音が鳴った。手錠のかかったカガミの手が、ナカムラの手の甲に触れる。ナカムラはびくりと震え、体を強張らせた。
「やめろ」
抑えた低い、しかし怯えを含んだ声でカガミを制止する。
カガミは思わぬ拒絶にひるみ、だが自分から顔を背けているナカムラを見た。
「ナカムラさん、あなたは俺の思いをわかってくれていると…皆が俺のことを見限ったとしても、ナカムラさんだけは、俺の事を見続けてくれますよね」
ナカムラはカガミの方を見ないまま苦しげに言い放つ。
「おれはお前に会ってから、ずっと信じてたんだ。お前が、味わい続けてきた理不尽さを乗り越えて、お前がもっともっと昇進して、偉くなって、いつか警察を、お前の理想の組織へ導くような存在になる事を。おれはその為ならいくらでも、お前の踏み台になるつもりだった」
「でも、ナカムラさんは、本当の俺を、俺自身を、好きでいてくれたと、あなたは」
「もう、止めてくれ…!」
ナカムラはカガミから目を背けたまま再び拒絶した。
「ナカムラさん、」
なおもカガミは追いすがり手錠のまま手をナカムラの方へ差し伸べる。

「おい、いい加減に大人しくしてろカガミ!」運転席の刑事が見かねて一喝した。

その怒鳴り声に、ナカムラの方がハッと夢から醒めたように目を見開いた。
(おれは、今まで何を言って)ナカムラはとっさに先の言動を取り繕おうとカガミの方を振り向いた。
だがカガミの方は、もう己の両手を見下ろして、すでに現二十面相の犯行を続けていた時の顔に戻ってしまった。
その蒼ざめ整った硬質な横顔を、ナカムラは取り返しのつかない思いと共に盗み見る。

(おれは、カガミの幻を信じていたんだ)

掌には、頭を撫でた時のカガミの髪の柔らかさ、休もうとしない彼を眠らせようとその目を覆った感触が、まだ残っているというのに。