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zencro’s diary

乱歩奇譚SSと雑記

酒宴

「警視の髪ってクセがありますよねえ。ガッコとかで先生に目ェつけられたりとかしませんでした?」
アルコールが入って普段より気安さが増した気配のナカムラが、カガミの頭を弄っている。
「ええ、それに髪の色も薄いので染めてるのかと言われてましたね。親がまだ存命中で私と同じ髪質だったので、疑いは晴れましたが」
こちらも酔いが回り警戒心も薄れたのだろうか、髪を弄び続けるナカムラの手を逃れようともしない。カガミはカウンターに置かれた琥珀色の液体を見つめながら、昔の事を思い出していた。
「実は小学生の頃、そうとは知らずに酒を飲まされた事がありました。はっきりと覚えていませんが、おそらくウィスキーだったと思います」
「そりゃ、あぶないなあ。ご両親と飲み食いしてて、ジュースか何かだと勘違いしちゃいました?」
「近所の土手で大人…大学生あたりだったんでしょうが、たむろしていて、私がボールを追って側に行ったときに紙コップを渡されたんです」
ナカムラの手が止まった。「たち悪いなあ……それで?」
「さすがに一寸口にしてすぐやめました、不味くて」
「そりゃそうだ。しかし許しがたい奴らだな、悪ふざけが過ぎる」
ナカムラの顔がいつになく強張っているのを見て、カガミがふわりと笑う。「おや、ナカムラさん怒ってます?大丈夫ですよ、無事家に帰りましたから」
「そりゃ許せないでしょ。わかっててこどもに、しかもこんな度数の強い酒を寄越すなんて」
「こどもはアルコール耐性が弱いですからね」グラスを飲み干すわけでもなく、店の照明でカウンターに映る琥珀色の影を見つめながら、さらにカガミは愉快そうに言った。「でもナカムラさん。現在の私も、強くはありませんよ」
カウンターに置いた腕を枕に、ナカムラの表情を見上げる。いつもの二人とは逆の位置で目線を交わされ、瞬間ナカムラの心臓が大きく鼓動を打つ。
「ふふ、あのとき少ししか含んでいなかったのに、日差しも強かったせいかクラクラして、気付いたときは学生の一人に抱っこされるみたいな恰好でした。学生が胡座をかいた上に座り、背中を胸にあずけて。見上げると、その大学生が、そう、ちょうど今のナカムラさんみたいな困ったような心配そうな顔で見てて、目が合ったらまた眠ってしまって」
ナカムラの顔を見上げたままクスクス笑い目を細めるカガミ。その色素の薄い長い睫毛が照明に照らされ溶けそうになるのをナカムラは陶然と眺める。
「とても、気持ちが良かった……今みたいに、頭を撫でられて、髪に指を差し入れられて」
これは、本当にカガミなのだろうか。誘うようなカガミの媚態に当惑する。
「……警視、そろそろ出ましょうか。明日もある事ですし」
「そうですね」
自分から言い出しながらも密かに未練を残しつつ、心地好いざわめきと琥珀色の芳香ただよう席からナカムラは腰を上げた。

昼間とはうって変わりひんやりとした夜気が、酔いで上気した頰を撫でた。
大通りに続く暗い路地に足を踏み出したとき、前を行くカガミの体がよろめき傾いだのを見てナカムラは慌てて支える。
「大丈夫ですか、警視」
カガミはふうと息を吐き、ナカムラにしがみつく。が、やがて俯いたままくつくつと喉の奥で笑い始めた。
「え、おい」
「……ナカムラさん、私みたいなこどもにお酒を飲ませる時、どんな感じがするものなんです?」
暗がりの中、カガミのアルコール分を含んだ吐息がナカムラの耳元にかかる。「カガミ……」しがみつく体を支えながら、ナカムラはいつの間にか酒場の外壁に背を預けていた。
「今でも」カガミは壁との間にナカムラを挟み、凭れて囁く。
「今でも、ナカムラさんから見れば、私はまだこどもみたいなものでしょう?そういえば、あの学生達と当時の私も、ナカムラさんと今の私くらいの歳の差だったかもしれませんね」
戸惑いと眩暈がナカムラを襲う。遠い日の学生も、同じ感覚を味わったろうか。無防備にその身を委ねる「こども」に、自身も強く囚われる。
無言でカガミの頭を撫でた。店の磨り硝子の窓から漏れる弱い灯りに、カガミの髪が淡く光る。ナカムラはうっとりと目を閉じ、その柔らかな癖毛に指を沈めた。
いましばらく、他の事は忘れ、こうしていよう。

地獄の季節は既に始まっている。