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zencro’s diary

乱歩奇譚SS

バレンタイン

ナカムラ カガミ

ナカムラが待機する車に、カガミがドアを開け助手席に座った。
「あー警視、明日の捜査ですがね、…え?」
車を出そうとするナカムラの手を遮り、カガミがキーを戻した。
「えっ?何なに、なんなの?」
「もう、いいかげんにしませんか」
いつもの穏やかな口調と違うカガミに、ナカムラはわざとお道化た口をきく。
「ヤッホー?どったの警視?ずいぶん機嫌悪いじゃない」
「ナカムラさん、あと一日で人生が終わるとわかったら、何をします?」
「ええ~、いきなり何です?」
警視は係長の両肩を掴み、真正面から係長の顔を覗き込む。
「あと数時間で自分が死ぬと知ったら」
カガミはナカムラの座る運転席のシートを倒す。
「私は、今までずっとやりたくて我慢していたことを、します」
(えっ)
カガミの若く柔らかい唇がナカムラの口をふさぐ。
あまりのことに驚いて硬直し、身じろぎもせず、カガミのなすがままにされるナカムラ。
それをいいことに、カガミは口付けながらナカムラのネクタイを緩めシャツのボタンを性急に外していく。
そしてスラックスのベルトに手をかけたところでさすがにナカムラが顔を横にねじって怒鳴った。
「こら待てカガミッ!」
「待ちません」
「なっ!?良いから、ちょっとおれの上からどけ、おいっ」
「どきません」
頭にきてまた怒鳴ろうとしたナカムラは、カガミの顔を見て言葉をひっこめた。
カガミ警視が、もとの端正な顔をくしゃくしゃにして、体裁も構わず今にも泣きだしそうな表情をしている。
「お、おい?一体どうしたんだよ?」
「今朝、夢を見たんです」
「ゆめェ?」
トキコが、妹が死ぬ夢です。ナカムラさん、どうしよう、トキコは最後の肉親なのに、守れなくって、妹が死んだら俺は、もう生きていけない、トキコが居ない世界で生き続ける意味が見つからない、そう、俺も死にます、そして死ぬんだったら、もうこれ以上こらえる意味なんてない、ナカムラさん、俺は」
ナカムラは泣きながらわめき続ける上司を唖然として見上げた。
「お、おい落ち着けよ?夢の話だろ?いま現在、妹さんは生きてるんだろ?何でそんなに取り乱す必要があるんだよ?」
「あなたは、何もわかってない」
ベロベロの泣き顔から、急に真顔になったカガミが低い声で言った。
「私がどんな理想を掲げていても、唯ひとつ、私の妹が奪われたら、それだけで私の人生は終了を告げる。そのことに俺は、ようやく気付いたんですよ」
冷たく浸食する真実。
「思い残すことも、唯ひとつ、ナカムラさん、あなただけなんです」

カガミの人生に必要なのは妹だけ、そしてナカムラが居れば、世界はそれで完結する。
エンジンと共に暖房も切れていた車内は、どんどん寒気が増してゆく。

冷たい、冷たいバレンタイン。