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zencro’s diary

乱歩奇譚SS

針路4

コバヤシ

今日も、と言っても日にちの感覚が無くなってしまったけれど、ご飯が待ちどおしい。

ここの床は冷たくて硬いけど、何度か取りかえられる良いにおいの敷物がふんわり柔らかで気持ちいい。拘束も肌にくい込むことはなく、たまに向きを変えてはめ直してくれるので体もそんなに辛くならない。トイレや体の洗浄も、自然な欲求が出る前にひとりずつドアの向こうの施設へ連れ出される。最初は怖がって暴れていた子達も、今は素直におとなしく連れてかれる。最初この場を満たしてた恐れや怒りや焦りの感情も今は消滅して、とても穏やかな空気だ。

あ、ご飯が来た。

いつも通りに、スプーンですくって口に運んでもらう。……ああ、おいしい……。

ふた匙めを呑み込んでちょっと下を向いた時、髪の毛が頰をすべり、かすめた。

(え?)

ぼくの髪、こんなに伸びてる?

気がつけば、前髪もそうとううっとおしい。髪の毛の伸びる速さってどのくらいだっけ。ぼくはわりと早い方だって美容師さんに言われるけど、これたぶん切りたての時より5センチは伸びてる。人間の髪って1ヶ月に1センチ伸びるって聞いた様な気がする。飛行機に乗ってから、5ヶ月は経ってるって事か。

……そんなに?

驚いたせいか、少しずつぼんやりしてた頭の霧が晴れて来た。そして、自分の状態がおかしいこともわかって来た。

たぶん、食べものに何か混ぜられてるんだ。そしてこの敷物の匂い。たぶんこの二つのせいで、ぼくたちはぼんやりさせられ、逃げる気もなくしてる。もしかしたら常習性のある成分も含まれているかもしれない。

だめだ、ここを出ないと。でも、どうやって?

とりあえず、頭をはっきりさせようと、敷物から少しずつ離れていくようにする。食べ物も、眠いフリをして食べる量を少なく。すでに数か月経っているなら、見張る側もすっかり従順になった僕らにだいぶ警戒心が薄らいできてる筈だ。今この時、ぼくの頭に理性の光が差したのは、 幸運だったのかもしれない。

ぼくがトイレに連れ出される時間になったらしい。腕を引かれ、 向かいのドアを通って。用を足すときは個室でひとりになれる。体を洗う時もそうだ。でも抜け出せるような窓は無いし、通路にも見張りはやっぱりいて逃げ出せる余地はなさそう。ぼくは特別足が速いわけでもないし、追手の目をくらませるような機転が利くタイプでもない、もちろん腕力も強くない。どうしよう......どうしようもない。

 

今日もご飯の時間が来たようだ。

僕は眠いふりをしながらひとさじをゆっくり口に含む。そして、もうひと口。「……ン、あ?」

「ぐうッッッ......!」

ぼくは胸をおさえて転げまわる。

涙とよだれが止まらない。と、他の女の子たちも苦しみ始めた。一気にその場がうめき声で満ちる。給仕の男たちも手のつけようがないほどに。ばたばたと入ってきたのと同じドアへ駈け込んでいく。医者を呼んでくるんだろうと思ったけど、しばらくして担架が運び込まれ、ぼくも含めてこの場に居る子たちを連れ出していく。ああ、集団食中毒だからいったん医療設備のある場所へ隔離するんだ。担架が外へ出たとき、

 

「NOW!!」

 

顔中を口にして腹の底から、ぼくは叫んだ。

途端に起き上がり、てんでばらばらの方角へ力の限り走り出すぼくら。手枷ははめられているけれど、連れ出す際につなぎ留められていたパイプはもう無い。それこそ蜘蛛の子を散らすように逃げるぼくらを、虚をつかれた彼らは全て捕らえることはできないだろう。不運な子はいるかもしれない、でも僕らが逃げれば外へ助けを求めることができる、いやもしかしたらこの国の警察も信用できないかもしれない、でも、今はとにかく。

力の限り走った。景色が歪んで見えてグラグラする、でももう捕まるわけにはいかない。ぼくはここでは終わらない。

必死に走っているぼくの目に、「KOBAN」の文字が飛び込んできた。え、交番?でも考えるヒマもなく、ぼくはその小屋の入口に飛び込み、そしてそこで意識が途切れた。