zencro’s diary

乱歩奇譚SSと雑記

伝言


出所以来、ナカムラさんのアパートに厄介になっている。

逮捕前に住んでいた部屋は、煩わせて申し訳ないと思ったが、ナカムラさんに頼んで処分してもらっていた。犯罪行為を続けていた忌まわしい場所にのこのこ戻れるわけもなく、またそのまま放置していても持ち家とはいえ管理費等々はかさんでいくばかりだし、なにより罪のない近隣の住民の心身の負担もあると考えてのことだった。
帰る家を処分したのは俺の意思で、そんな俺がナカムラさんの世話になれた義理ではないのだが。
出所しても定職で働いて稼ぐあてなどなく、日雇労働ならばと思ったがそれもナカムラさんに止められ、結局居候の状態が続いている。
今はただ、朝出勤するナカムラさんを見送り、せめてもと思い固辞するナカムラさんを制して無理やり家事を引き受け、今も四苦八苦している。
今まで家事をほとんどやった事がない自分を恥じ、かつ呪った。自分でも呆れるほど、できる事がない。
過去、家事全般はトキコに任せきりだった。両親が死んだ当時、彼女はまだほんの中学生、そんな子どもにこんなにもたくさんの事を押し付けていたのか、俺は。当時すでに大学生であったというのにバイトと学業のみにうつつを抜かしここまで来てしまった自分に怒りを覚える。しかしもう何もかも今更だった。彼女には途方もない不幸と厄災を与えてしまった。「誰かが悲しむのを少しでも減らしたい」だなどと言っておきながらこのざまだ。結局、俺こそが周りの者に苦痛と悲嘆を与える罪人だった。そして、もうその罪を償う術は無い。
……まったく、できないことが明らかになるたびに、この調子だ。今更どうしようもない事に囚われ過ぎて、無理を言って引き受けた家事も一向に上達しない。これではナカムラさんに申し訳なさすぎる。
どうにかして、何とかして、せめて家の中の事を処理できるようになって、ナカムラさんの負担を軽くしなければ。
そんなことを頭の中でぐるぐると考えながら、ベランダで渇いたワイシャツなどを取り込み中に戻る。アイロンとアイロン台(初めてアイロンをかけたときは、台を使わず畳の上に直接シャツを置いてアイロンがけ、そのあと畳の上にアイロンの熱い面を下に置きっぱなしにしてしまった。その痕跡は今もくっきり畳の上に残っている。)を取り出すため押入れを開けた。ふと、奥の右手にかなり大きめの段ボール箱が置かれているのに気付いた。そしてその側面には「カガミ」の文字。好奇心を抑えきれずに箱を引き出し、ふたを開けてみた。
「……!」
中には、引き払った以前の部屋に置いたままにしていた品々が、きちんとまとめて入れられていた。
「ナカムラさん……」
ナカムラさんには部屋の中の物品はすべて廃棄処分して下さるようお願いしていた。おそらく、俺があの忌まわしい夜に壊した家具類は、お願いした通り処分してくださったのだろう。しかし、目の前の箱に収められた品々は。箱の中の一角に、とりわけ惹きつけられる物があった。箱から取り出し手に取ってみる。透明な緩衝材にくるまれたそれは、トキコが生前持っていたタブレットだった。
おそるおそる、電源を入れてみた。操作音がして、まだこれが生きていることを示した。
パスワード入力を求められるわけでもなく、タブレットはあっさりとホーム画面を表示する。
トキコ……」
画面上に並ぶアイコンを眺め、よくトキコがこれで家計簿をつけていた光景を思い出しながら、「2016家計簿」と表示されたアイコンの上を手で撫でるようにかざした。と、その右手のフォルダアイコンに実際指が触れたらしく、中身が開示された。
見ると、そのフォルダには「兄さんへ」という名前が付されている。
「俺あて!?」
いよいよ心臓の鼓動が早くなる。そのフォルダの中には「いざという時readme」という名のテキストファイルがあった。

兄さんへ

普段決して私のプライベートな物をのぞき見しない兄さんの事だから、これを見てるということは、おそらく私の身に何かが起こったということよね。
あるいは何事も起こらず、永遠に見ないかもしれないよね。まあそれでもいいか。
これは、私の自己満足。ちょっとね、自分の考えをまとめるつもりで打ってます。


そのあとは、家事全般にわたるノウハウやコツ、当時の家の中にある備品・消耗品、各種設備の取り扱いや交換時期について等々が続く。
ベランダの植栽の種類や季節によるカーテンや寝具の交換、衣替えほか、心地よく生活するためのあらゆる工夫がそこに綴られていた。
思えば何気なく毎日過ごしていたあの部屋は、トキコが考え、思いを尽くしてあしらった、トキコの「作品」だったのだと、今、やっと気づいた。
それなのに俺は。
あの夜、激情にまかせてあの部屋を滅茶滅茶に破壊し、あの部屋に忌まわしい男を引き入れて芋虫に仕立て上げ、汚らしい復讐の場に貶め、あげく、処分してしまった。
「俺は、なんて事を…...」
どうしようもなく目から涙があふれ、トキコタブレットに落ちた。慌てて落ちた水滴を拭う。

「ただいまあ」
肩口で突然声がして、驚いて飛び上がった。
「ナカムラさん!?い、いつの間に……」
「なーに言ってんの、ピンポン鳴らしたのに出ないから、てっきり留守だと思ってカギ開けて入ってきたんじゃん。」
ナカムラさんは俺のそばの段ボール箱と俺が手にしたタブレットを見て、しまったという顔をした。
「ああ〜見ちゃった?」
「アイロンを取ろうとしたら奥に見えて。ナカムラさん、これは」
「ええと、うん〜ごめん!処分してって言われたけど、どーしてもこれだけは……ってさぁ。実を言うと部屋も処分したく無くてマンションの理事会や管理会社にきいてみたんだよね……あああ、ごめんってば。そしたらさ、老朽化すすんでさらに大地震以来の調査でどうも施工に問題あったらしくてさ。近々建て直すから、だから、って断られちゃった。……まぁ、ていのいい言いわけかもだけどね……ってああ何でもないよ。でさ、家の中のもの整理しておいて欲しいって言われちゃってさ、まあ個人情報とかその辺で、こっちで選り分けといたほうがいいかなぁって思ったものつめて、ウチに持ってきたってわけだ。さっさと言わなきゃいけなかったよな、ごめん」
「いえ、そうだったんですか……煩わせて、申し訳ありませんでした。」
俺は手にしていたトキコタブレットをそっと畳の上に置き、俺の背後にかがんでいるナカムラさんに顔を向けた。
「お陰で、トキコが生前用意していた俺宛てのファイルを読むことができました。御礼を言わねばならないのは、俺のほうです。……ありがとうございます。」
ナカムラさんは畳の上のタブレットに目を落とす。
「ああ、それに。……だったらなおさら、早く伝えるべきだったなあ。」
トキコがいかにあの部屋を、俺たちが心地よく住めるように工夫していたかがわかりました。情けないことです、両親が死んで、今の今まで、妹がどれだけの思いを込めてあの部屋を大事にしていたか、俺には感じ取れていませんでした。ナカムラさんの言う通り、あの部屋はおいそれと処分すべきではなかった。……ましてや、俺の汚らわしい復讐に利用すべきではなかったんです。それなのに、俺は」
先ほど引っ込めたと思っていた涙が、またあふれ出す。
「ごめんッ……トキコごめん……すみません、ナカムラさん、ごめんなさい、ごめんなさい…...ごめ……」
嗚咽が止まらなかった。
ひとしきり泣いて、気付くと俺はナカムラさんに抱きしめられていた。そして、俺の背中をさすりながら、気付けばナカムラさんも泣いていた。うん、うんと頷きながら何も言わず、俺が泣き止むまでそのままずっと、そうしてくれた。

兄さん、兄さんは私の事ばかり心配して大事にしてくれているけど、私はそんな兄さんのほうが心配です。
どうか、もっと自分を大切にしてね。
私以外にも、兄さんを大事に思ってくれてる人がきっといるはずだよ。
その人に早く気づいて、大切にしてあげてね。


いつまでも、兄さんの事が大好きだよ。

時子