zencro’s diary

乱歩奇譚SSと雑記

辞職


「大丈夫だよー君はもう充分1人でやっていけるし『ナカムラさん』無しでもぜーんぜん問題無いってー」
ナカムラさんは猪口を乾して目を糸にしながら言った。
帰りぎわ、辞表を出したと言われ「じゃっ♫」と去っていくのを慌てて追いすがり、とりあえずいつもの居酒屋に入った。
「いやーもうこの仕事カラダしんどいしねー昔なじみの海の家でもう閉めようかなって話聞いてさ、ならおれが継いでみようかなぁって。
ヤマシナ君もさー、休みに暇だったら遊びにきなよ。来てくれたらトクベツにサーフィンなんかも教えちゃおっかなぁ〜」
愉快そうに言われて少しムッとしたが顔には出さず、そんなぁ突然いなくなっちゃうなんて寂しいですよ、とか当たり障りの無いことを言おうとしたら言葉に詰まった。鼻にツンと来て、思いがけず涙がぼろっと卓上に落ちる。押しとどめようとしても次々あふれてどうしようもなく、唖然とした表情のナカムラさんにもごもご言い訳して店の外へ出る。涙を引っ込ませようと頭上で煌々と光る満月を仰ぎ深く息を吐いた。
嫌だ、置いて行かれるのは嫌だ。彼は以前の同僚だったあのカガミの刑が執行されたのを潮に、俺たちの前から姿を消してしまうんだ。
そう思う一方で、それの何が悪い?別に辞めたかったら辞めればいいんだ、なんで俺はこんなに彼を引き止めたいと思うんだ?
今、思い知った。俺は彼が好きだ。連続殺人犯と近しかった彼を監視してるつもりが今じゃすっかり絡め取られて、側にいない時も四六時中彼の事を考えてる。わかってる、彼はこの先もカガミを想ってる。俺がいくら側にいて想っても、変わらず死んだカガミを想い続ける。でも、だからこそ今彼を行かせたらそれで全て終わりなのだという気がした。
顔を拭い、もうひとつ深呼吸をして店内に戻る。所在無げにしていたナカムラさんは俺が戻ったのを見るとホッとした様子で言った。「大丈夫かい?そろそろ出よう」夜の雑踏の中をくぐり工事中ビル裏手の自販機で酔い醒ましにと缶コーヒーを買った。今までと打って変わりひっそりとした自販機の灯りの下でプルタブを開ける音が響く。
「こうして君とコーヒー飲むのも最後かなあ」
「辞めないでください、ナカムラさん」唐突に言ったが特に反応がない。まるで予期していたかのように顔を上げ、ナカムラさんは感情の無いガラス玉のような眼でオレを見返した。
「俺はもう飽きた。」
聞いた事もないような声色だった。
「俺の好きなやつらがやつらのせいじゃないことに巻き込まれて身も心もすり減らした挙句殺されたり身を滅ぼしたりしてくのを、俺が何にもしてやれなくってただ見てくだけって、そんな状況と俺自身にもう飽き飽きしたんだ。俺はここには向いてない。ここに居続けたら俺はもう自分を抑えられなくなって、今まで禁忌にしてたことにきっと手を出しちまう。俺はその手法を自分でも恐ろしいほどよく知ってるしまず間違いなくうまくやってのけちまうだろう。だから、もうここにいたくない。ここでないどこかに行かなきゃダメなんだよ、ヤマシナ
感情を表さない眼のまま、その口からは呪詛のような言葉がドロドロと吐き出されるのを今度は俺が唖然として見ていた。ぽっかりと開いた暗い穴の淵に立たされて冥府の底から封印されていた彼の思いが染み出して来るのを見るようだ。こんな彼を俺は見たことがない。いや、今まで誰も見たことがないに違いない、あのカガミですらも。
「君ももう、俺には関わらないほうがいい。君は歪まず真っすぐで強い。これからもどんどん良い刑事になっていくだろう。俺が見殺しにした奴らの分も。
「だからまあ、ヤマシナ君はこれからも刑事頑張ってよ。俺も新天地で頑張るからさあ」
聞き慣れた口調に戻り彼はヘラッと笑った。
冷えたコーヒーを飲み干して回収ボックスに落とし、地下鉄入口へと向かおうとする彼の腕をつかみ引き戻す。怪訝な顔で振り向いたところへ、とうとう言った。
「あなたが好きです。
「さっき自覚しました。俺はあなたが好きです。行かないでください。ここにいてください。」
「いやいや、もうさ、止そうよ。」
なおも去ろうとする彼に腕をつかむ力を強める。
深く息をつき目を細めて困った顔を向けて「離してよ」と言うのも構わず引き寄せ抱き締めた。
「離せよ」
さっきの暗く冷たい声が戻る。
「どいつもこいつもそうやって俺が見切り付けようとすると力で止めやがって、そのくせ後は勝手に自滅していくんだ。お前も同じ種類の人間だよ、およそ強引でお目出度い、もううんざりだ放っといてくれよ」
押し付けた胸から聞こえてくる、押し殺したような声。振り解こうとするのを壁に押し付け怯んだ隙に口づける。そのまま夢中で口腔を貪っていると、指で肩をトントンと叩かれた。彼を見ると、もう激した様子はなく、といって日常のへらへらした顔でもなく、無表情な上目遣いで言った。
「わかったよ、今は君が気の済むようにするといい。全く、力じゃ敵わないしね。
「でももうこれきりだ。その後は、俺の好きにさせてもらうからね。」

そして彼は、易々と俺の腕からすり抜けていった。