zencro’s diary

乱歩奇譚SS

花火0.1


うわ、降ってきた。
その日は思いがけなく仕事も早く済んで、ナカムラに誘われるままに近場の花火大会に出向いたが、日中から怪しげな雲行きの空は次第にどす黒く変わり、ついには天気予報通り振り出したのだった。
「ほらカガミ、グズグズしてると始まっちゃうよ~」
ナカムラはそんな天候にもお構いなしに、スーツの裾を掴んでグイと引っぱる。
「え、ナカムラさん雨も降ってきましたし中止なのでは?」
「何言ってんの、これっくらいの雨で流れるわけないじゃない」
ナカムラの言う通り、確かに打ち上げ予告の咆哮のような音がドンドンと上がった。
「ほらなー?この程度の雨ぐらい却ってお祭り心に火をつけちゃうってもんだよ〜」
(でもナカムラさん、このまま傘もささずに行ったら)

それでも、打ち上げが始まると空に関心が移る。周囲も雨そっちのけで、大輪の華が開くたびにともに歓声を上げる。
(綺麗だなあ)
顔に小雨が当たるのも気にならなくなり、カガミは夜空につぎつぎ散華する光の饗宴にしばし時を忘れた、が。
「ふぇっくしょい!!」
「だっ、だいじょうぶですか…?」横で盛大にくしゃみをしたナカムラに、慌てて声をかける。
「いっやぁ、やっぱ傘もなしで雨ん中じっと立ってるのはヤバかったかなあ。ま、へーきへーき、風邪なんか引いてる場合じゃないもんね今」
(いや、顔赤いし、熱が出てるんじゃ…)

ナカムラはたまに度を越してはしゃぐことがある。そんな時は決まって、どこかケガをしたり翌朝青い顔をしてたりするので、カガミは今日もそうなりそうな予感で気が気でない。ふだんは、若いカガミをサポートしたり導いてくれたりして範を示してくれる頼りになる先輩なのだが。

「ヘックショーイ、ズズッ」心配しているうちに、ますますナカムラのくしゃみの頻度が増え、鼻をすする音までしてくると、さあいよいよこれは風邪を引いたなと判断し、カガミはこの人混みからどこかの通りに出て、タクシーでも捕まえようと辺りを見回す。
「ナカムラさん、このままだと風邪がひどくなりますよ。車つかまえて、お宅まで送ります」
するとナカムラは「えええ?いいよそこまでしなくたって、帰ってシャワー浴びて寝ちまえば大丈夫だから」と嫌がる。
そのうえ、「あっそうだカガミ、この先にいい店あんだよね~穴場的な感じであまり混まないし、ずっと歩きづめの立ちっぱなしだったからさ、ちょっと休んでこうよ」と言い出す。
「ナカムラさん、そんなふうに無理したら、またこじらせますよ?」
「ええ〜大丈夫だよう」
「ダメです!今日はもう帰って」
「だってさ、」と、珍しくナカムラが言葉を遮る。「せっかく綺麗なもの見たのに、このまま日常に戻っちゃうの勿体なくない?」

花火のさなか、夜空に上がった大輪の華の色鮮やかな光が、見上げるカガミの顔を照らし、その瞳に吸い込まれてゆくのをナカムラは横で見上げていた。そして、花火が終わった後も、とりどりの光を吸収したカガミを前に余韻に浸っていたいと思った。
自分でもよくわからないその気分は、なぜだか何にもまして優先したい事のように思えて、ナカムラは、実はちょっと駄々をこねていたのだった。

「カガミはおれを帰らせたいの? おれは、ずっとこのまま一緒に居たいのにな~」
言った直後ハッと気付いて自分の言いように動揺し、ナカムラの背に冷や汗がドッと噴き出す。
(え、ちょっとおれ何言ってんだ、これじゃまるで恋人に向かってすねてるみたいじゃないか)
が、
「私は、それと引き換えに元気なナカムラさんと一緒に仕事ができなくなる方が嫌です」
ナカムラの動揺をよそにあっさりと返すカガミに、ナカムラはすっかり毒気を抜かれた。
「私は、ナカムラさんと職務に励む日常がとても大事です。なので、ナカムラさんの健康を害するようなことがあれば今後も全力で阻止しますから」
ナカムラの目を真っ直ぐに見ながら、カガミはよどみなく言いのける。
「またそんなこと言っちゃて〜」茶化そうとするナカムラだが、カガミはまたも当然のことのようにことばを続ける。
「ナカムラさんを前に、私は本心しか言いません」
「…はは、カガミは正しいなぁ」

どこまでも堅苦しくて真っ直ぐな、優秀な後輩。
(いつの間にか、こいつに寄りかかって甘えるようになってたのかなあ…)
自宅へ向かうタクシーの中、横に座るカガミの体の温もりに安らぎを感じながら、ナカムラは心地よい眠りに落ちていった。

再会


ちょっと一杯だけのつもりだった。
だが最初に寄った店は閉まるのが早く早々に放り出されてなんだか気分が収まらない。
「仕方ねぇなあ」ともう少し長くやっていそうな店を物色する。
程無くステンドグラス風の看板の光に引き寄せられ、その店のカウンターにちょこんと腰かけた時、店の窓から見慣れた茶色のはねっ毛が過ぎてゆくのを見つけ、あっ、と喉の奥で声を上げてあわてて店の外へ飛び出し追いかける。
「お、おいっ」長身に追いつき肘を掴んで顔を覗き込んだ。
「な、何です?」狼狽した声とともに振り向いた顔を見て、ナカムラはハッと自分の間違いに気づいた。
「あ、すみませんね…」曖昧な笑い顔をのこし踵を返した背に、声が追い縋った。
「ちょっと待ってください、あなた、ナカムラさんですよね?」
どことなくききおぼえのある声に振り向くと、当の長身は首をかしげながら破顔する。
「お久し振りです、ハシバです」

あれから何年も経っていた。
かつて「少年」探偵だったアケチコゴロウは成人し、連絡係という名目のお目付け役からおれは外れて、アケチ・ハシバ・コバヤシの探偵組とはぷっつり音信も途絶え、おれは仕事に忙殺されて、互いに連絡を取り合う必要も感じないまま時が過ぎた。
「おっやぁー驚いたなー!あれ、こんな時間にこんなところで独りで、どうしたの、ハシバ家の坊ちゃんが」
「坊ちゃんは、もうよして下さいよ」と返すが声に怒った様子はなく、照れたように笑う。「財閥傘下の店舗を巡回していたんですよ。ひとりでないと目立つものですから」と言いつつスマートフォンを見る。
「…ナカムラさん、よろしければ少しお話しできませんか?折角お会いできたのにこのまま別れるのは惜しい気がして」
「あー、丁度そこの店に居たんだよ。そんな上等な店じゃないけど、そこでどう?」
「ええ、ご一緒します」そういう事になった。

カラン、と店内に入り元居たカウンターに戻る。
「よっこいせっと…ハシバ君は何呑む?あ、酒はイケる人?」
「はい、まだまだ修行中ですが案外自分は飲むのが好きなようです」
各々注文し、しばらくは近況報告会となった。
「へえ、まだ探偵さんのところへは出入りしてるんだ」
「はい、最近では僕の方から依頼することもありますよ」
「で、コバヤシ君はぜんぜん帰ってこない?」
「そうですね、でも気まぐれでふらっと戻っていたりもするんですよ。事前に連絡しろと言ってるんですが、まああまり効果は無いですね」
「ありゃ、相変わらずマイペースなんだなあ。きみも苦労するねえ」
「もう慣れましたけどね。まあなんだかんだ無事で、強運な奴ですから。あ、先日珍しくメールが来ていたんですけど…カガミさんの話を聞かれて」
「へえー」
「まだ、僕らの顔パスって有効ですか?って」
「へ?あぁ、あのときのー」グラスの液体を眺めながらナカムラが笑う。

 あいつは嫌がるだろうけどさ、きみ達だったらいいでしょ、顔パス!

「だいじょぶだよ、何ならおれのほうからあらためて口入しとくからさ。それにコバヤシ君なら機関の許可証持ってたでしょ、断りなくてもあれでいけるよ」グラスをあおって、追加を頼む。
「ありがとうございます。よければ僕と、ハシバ家の人間、という名目で口きいていただけると助かります。あいつ最近機関と関係が微妙らしくで、警察関連で許可証を使用したくないらしいんですよ。行動把握されたくないと言ってて」
「なに、危ないことになってるの?」
「いえ、大丈夫です。要所要所ではハシバ家のボディガードを配置するようにしてますから」
「はは、相変わらず凄い」過保護だねえ、という言葉はウィスキーと共に飲み下す。
「少々やりすぎという自覚はありますが。でも、最近その護衛もよくまかれるようになってきまして」
「はー」得体の知れない子ではあったけど。末恐ろしいねぇ。
手に負えないように言いつつも、コバヤシの事を口にするたびハシバの目は優しい光を帯びる。コバヤシの姿は長らく目にしていないが、おそらく彼もハシバの事を思い出すとき似た表情をするのだろう。
少年から青年の声へ変わり、程よく低くなったハシバの話し声が耳に心地よく、ナカムラは機嫌よく杯を重ねた。

「…ナカムラさん、ナカムラさん」
なんだよ、気持ち良いのに…あれ?
「大丈夫ですか?そろそろ出ましょう」
「ああ、ごめんね…おれ寝ちゃってたのか」
「お疲れのようですね、お送りしますよ」
「いや、だいじょぶ、だいじょ」ぶ、と言いかけて椅子から降りた途端によろけ、ハシバがあわてて支えた。
「…じゃあ悪いけど、そうしてもらおっかなあ」
いつになく、飲み過ぎてしまったようだった。

既に車の手配を済ませていたハシバは、店の外に待っていた車にナカムラを誘導し、ナカムラに住まいを尋ねる。だが車のシートに心地よくおさまった彼は、もうすっかり睡魔の虜になってしまったようで、ゆさぶってもいっかな起きる素振りも見せなかった。
「仕方ない、ナカムラさんちょっと失礼しますね」と言ってハシバは胸ポケットを探るが其処にあった手帳に住所は無く、携帯はロックがかかっていてお手上げだった。
「参ったなあ…あ、そうだ」ハシバが運転手に場所を告げると、車は夜の新宿の町から静かに目的地に向かって滑り出した。

「よいしょ…っと」
今では自分より背が低く体重も軽いとはいえ、眠り込んでいる大人ひとりを運ぶのは重労働だ。ようやく部屋のベッドへナカムラを横たえ、ハシバも疲労困憊でベッドの上にへたり込んだ。
「こんなに酔っても顔色が変わらないんだなあ」とりあえず靴を脱がせ、スーツの上着をとろうとした時、ようやくナカムラが気付いて眩しそうに薄目をあけた。
「あれぇ、ハシバ君なんでここにいるの?あれ、ここ…どこ?」
「すみません、ナカムラさん寝てしまって住所が分からなかったものですから、とりあえずハシバ家でキープしているホテルの部屋へお連れしました。ここなら、気兼ねなくゆっくりしていただいて大丈夫ですし」
朦朧とした脳に、落ち着いた声が心地よく、懐かしい。「ふぅん…ありがとな、……ん」
「え?なんて?」問い返すとまた相手は目を閉じている。
まあいいか、今日はこの部屋に泊まってもらえば。
ナカムラの上着を手に、ハンガーに架けたら帰ろうとベッドから腰を上げた。が、引っぱられる感触に振り向くと、眠ったと思っていたナカムラがハシバのスーツの袖を掴んで見上げている。
「待って」
「どうしました、気分が悪いですか?」
と、急により強い力で引っ張られ、ハシバはバランスを崩した。
「えっ」
次の瞬間気付けば、ナカムラがベッドに仰向けに転がったハシバを見下ろしている。照明の影になって見えないその顔が何事か呟いたがそれもよく聞き取れなかった。
「ナカムラさん…?」
突如ナカムラの顔が急接近し、あわや互いの唇まで触れそうになる寸前「何するんですか!」ハシバはナカムラの体を突き飛ばす。ゴンッ、という鈍い音が鳴って、ナカムラは壁際に蹲った。ハシバは慌てて「すみません、大丈夫ですか!?」と駆け寄り、ナカムラの顔を覗き込む。「…なんで泣いてるんです?」
「え?あれ…?」問われ、ナカムラは初めて頬に流れる滴に気付き驚く。

シャツの袖口で涙を拭い、「ちょっと、いいかな」
目の前のハシバの髪を右手で触れて撫でる。両腕を伸ばし、今では自分よりも広い背に手を回して抱き寄せる。
…ああ、同じ匂いがするなあ。



カガミ。

kawaii(乱歩奇譚ワンクリお題「寝起き姿」)


「そういえばふたりで探偵事務所に来るの珍しいですよね?…あれっ留守かな。上がって待ってましょうか」
ナカムラは慣れた様子で合鍵を使い、刑事二人は部屋に上がりこんだ。
「あー、なんだぁ探偵さん寝てるよ。へぇ、宮付きだの天才少年探偵だの言っても、寝顔は無防備で可愛いもんだ。ホラ、警視もそう思うでしょ」
「そうですか、私はあまり男子高校生を見て『可愛い』と感じた事は無いですが」
「あー、警視くらい若いとそうかもねえ。わたしみたいにいいかげん若さや瑞々しさが毛ほども無くなっちゃいますとね、探偵さんくらいの年頃の子なんかもうね、可愛いというか眩しいというか~」
「いや、それよりこの年頃の頃は『可愛い』なんて言われると何もできない子ども扱いをされてる気がして、無性に反発を覚えたような…」
「そりゃまぁ、警視と探偵さんの方が歳近いですしね、わたしみたいなくたびれ果てて輝かしい未来もないようなおっさんとはもう感覚が異次元みたいなもんでしょうからねえ…」
「あ、いや、私はそんなつもりは微塵も」
「はは、冗談ですよジョーダン。警視が可愛いと思うのは妹のトキコさんだけだもんね」
「かっ、からかわないでくださいナカムラさん」
と、眼下のふわふわしたクセ毛頭が蠢き、紅い眼球がうすく開かれたまぶたの間から煌めく。
「…おっと、起こしちゃったかな」
「お前ら、寝てる人間の頭上でなにいちゃついてるんだ」
「い…なっ、何を言ってるんだアケチ君」
「あ〜ゴメンねえ、わたしはすぐ退散するからさ。あとは警視と打ち合わせすすめてね」いくつかの伝達を終えてナカムラがそそくさと探偵事務所を辞去すると、探偵は口を開いた。
「お前、妹以外可愛いと思ったことないのか」
「? 何の事だアケチ君」
「俺みたいな男子高校生は可愛くないんだろ」
「きみは実はずっと起きて聞いていたのか?だいたい、赤ん坊でもない男子に可愛い可愛くないと言う形容を使うのは適当じゃないだろう」
「そうか?」ソファからむくりと身を起こし、探偵はカガミのネクタイを掴んでグイと引っぱる。ふわりとした感触が唇をかすめて、カガミは一瞬硬直したのちネクタイを握る探偵の手を振り払うと同時に、引きつった声で呻いた。「なっ、何を…」
「お前もわりと赤ん坊のようなものだがな」探偵は唇の両端を吊り上げて笑う。

「只今、戻りました…」
署に戻ると、いつものように昼食後の昼寝をしていたナカムラが突っ伏していた頭を持ち上げた。「お、おっ疲れさまぁ。おやぁ、なんか随分と消耗してません?」
「はぁ…。あれ?ナカムラさん、右の頬になんか付いてますよ?」
「ん?…あ!昼飯買ったコンビニのレシートですな~、いや~カッコ悪いですなぁ、ははは~」
いっそう脱力してカガミは言った。
「はぁ…。ナカムラさんの寝起き姿の方が、よほど、いや万倍も、可愛いですよ…」
「へ?」
顔全面に疑問符を貼り付けたような面持ちのナカムラを見ながら、ふたたび深々と溜息をつくカガミだった。

景色


「カガミ、おいカガミ!」
呼びかける声に、カガミ警視は目覚めた。
「あふぇ?」
「あ~、よかったぁ〜」
目を開けたカガミを見て、ナカムラはほーっと胸をなでおろす。
ぽかっとまぶたを開けたまま、不思議そうにナカムラを見上げるカガミ。続いて、カガミは意外な行動に出た。
「なんだ、眠れないのか?」と言いつつ、ナカムラのあたまをくしゃくしゃ撫でる。
「…え?」
「あ…?あれ?」
互いに戸惑い顔見合わせて、ようやく『カガミ』は気付いた。

(俺、『表』に出ちまったのか?)

「どしたカガミくん、やっぱり打ち所悪かったかな、盛大にすっ転んで後ろ頭ぶつけてたしな〜、それとも、寝ぼけてる?」
(どうするかなーもとの宿主が気ィ失うと俺が出ちゃうんだ知らなかったなーまあいずれ事情話すんだったら今、説明しちまうか〜)
「あのな」
「あー、すぐ起き上がらないでいいから〜」
カガミの言葉を遮り、ナカムラはカガミの頭を撫でた。
「そういえばさっき、おれの頭こうやって撫でただろ?むかし、おれのじいちゃんがよくあんな風に撫でてくれたな〜なっつかしいなあ〜」
「あのな、実は俺」
「あー、もしかしてトキコさんと勘違いした?きみが頭撫でるなんて、妹さん以外想像できないもんね〜」
(お前ほんっとひとが何かいう前に先回りしちゃう奴だよなー)
自分のもとの体が絶命した8月20日、時同じくして生まれたカガミの中に気付いたら同居していた、カガミとは別のもう一つの人格。彼は、だがそれを明かさず、奇妙な巡り合わせで成長したナカムラに出会ってからも表に出ようとせず、ただひたすらカガミの裏から見守り続けてきたのだった。
(まあいいか、『カガミ』が気付くまで調子合わせとくかねー。なんせ、ずうっとこいつら見てたから、何とかなるだろ)
「ええ、すみませんナカムラさん。私は気を失っていたんですね」

心配顔で、自宅まで送ると言ってきかないナカムラに付き添われて、カガミの自宅へ戻った。すでにトキコが学校から帰っていたので、ナカムラは彼女に事情を話して引き上げていった。
ナカムラを見送り、トキコはこちらを振り返った。「兄さん、今日はもう着替えて休んで」
(…いや、今は『とうさん』ね?)
彼をとうさんと呼ぶこの人格も、もとの体を失った直後に出生したトキコの体に同居していた。かれらは、あくまで傍観者としてカガミとトキコ、そして兄妹がナカムラと出会ってからはナカムラも、見守っている。
(ああ、カガミがな、頭を打って気ィ失い続けてるんだよ)
(ゼンシローとは、話せたの)
(カガミとして、な。どうしよっかなぁって思ったけど、やっぱ俺らはもうこの世の住人じゃないから。あ、そろそろ起きてきたみたいだぞ、カガミ)

数年後。
(とうさん、とうさん)
ケーキの箱を持って帰り道を急ぐカガミに、いやもうひとつの人格に呼びかける声がした。
(どうした、離れている時にこんな風に呼びかけるなんて、珍しいな)
(あのね、トキコは、もう死んでしまうわ。ずいぶん酷い目に遭って酷い姿にされてしまった。信じられない、どうしてこんないい子が。でも、やっぱり死んでしまうの)
(何だって…それで、お前はどうなるんだ?)
(宿主が死んでしまうのだから、私もいよいよ消えるしかないと思うの。さすがに2度もほかの人間の魂と同居できるとも思えないし。さよなら、とうさん、ゼンシローをお願いします。ケイスケも、なんて可哀想に…。どうか、自暴自棄になりませんように…)
(さよなら…そんな、俺は見てる事しかできないのに)

数日後。
(なあ、カガミはまだまだ、殺し続けるつもりだよ。俺は、見てるしかないんだ。もう止めてやりたいよ。もう、見たくないよ。でもこいつはまだまだ『断罪』する相手に事欠かないんだ。どうすりゃいい…性懲りもなく、学生探偵のところにも行き続けてる。なあ、お前ならどうしてた?)
考えあぐねた挙句、かれはカガミの人格に「体当たり」をしてみた。ちょうど探偵の元を去ろうとする矢先だったカガミは、脳に一撃を食らったような衝撃を覚えて、よろめいた。
「寝てないのか?」
(じっさい、寝てないのさ。探偵さん、痕跡を残しといたから気付いてね)

さらに、数日後。
ナカムラが、収監されて間もないカガミとの面会にやってきた。
「や、調子どう?」
(カガミは、よくやっているよ。俺も、もっと早くに、こいつに干渉できてたらなあ、と今もよく思うけど)
「俺に気遣いしなくていいですよ」
「はは…」
(でもやっぱ俺は、こいつがこいつ自身の意思で生きてほしい、と思ってさ)
「そんじゃぁ、また来っから」
(できたら、今までみたいにこいつに声をかけ続けてやってくれよ。そしたら、きっとカガミは大丈夫だよ)
「ありがとうございます」
(見てるだけで、何にもしてやれなかったけど、まあ俺はユーレイみたいなもんだからさ。…ただ、カガミと一緒に、お前に会えてよかった)
誰にも聞かれることのない呼びかけを遺して、かつてカガミの中で目を覚ましたその人格は、やがて薄れ、消えていった。まるで宿主の中で天寿を全うしたかのように、夢から醒めるように。

おやつ


「こんにちはセンパイ」「おじゃまします」
「またお前らか。今日は眠い、帰れ」
「ハシバ君がアップルパイ持ってきてくれたんですよ、みんなで食べましょう」
「人の話聞いてるか」
「だって、ハシバ君のお母さんのお手製ですよ?フィリングだって、財閥の経営する農場で採れたリンゴ使ってるんですって。おいしそうですよー。ハシバ君、ぼくおさらとナイフとフォーク並べるから、缶コーヒー4つもってきて」
「あ、ああ」とカウンター下の収納場所へ向かうハシバ。
「……4つ?」
「上がらせてもらってるよー探偵さん」
「お前もいたのか」
「ビルの入り口でナカムラさんに会ったんですよ、4人の方が切り分けやすいですし、良かったですね」
「だからオレは寝るところだって言っているだろ。ここはカフェじゃないんだ、帰れ」
「そんなこと言ってー。センパイのって、寝る寝るサギじゃないですか。どうせ眠れないんだから、諦めて食べちゃった方が良いですよ」
「相変わらず押しが強いねー、コバヤシ君」無精ひげを撫でながらナカムラが感嘆して言う。
「ったく……お前ら、靴は脱いだんだろうな?」アケチがめんどくさそうに起き上がった。
「おいハシバ、コーヒーはいいから湯を沸かせ」
「え、アケチさんコーヒー以外のもの飲むんですか?」
「アップルパイなら紅茶がいいだろ」
「ええっ、ここに紅茶の葉なんてあったんですか!?」
「ティーバッグだ。いやなら飲むな」
ナカムラは先ほどまでアケチが寝そべっていたソファに収まり、ニヤニヤしながら子ども達のやり取りを眺めていた。
「探偵さーん、わたしは生クリーム添えが好きなんd」「黙れ」

「ナカムラさんって、見かけによらず甘いもの好きですよね。お酒のおつまみ作るの上手いって聞いたことありますけど、もしかしてケーキとかも作れるんですか?」
「いやー、食べるのは好きだけど作るのはちょっとね。サテンでバイトしてたから甘いソフトドリンク系は作れるけど」
「極度の猫背でよく勤められたな」カップに湯を注ぎながらアケチが憎まれ口をたたく。
「やっだなあ、わたしだって探偵さんくらいの歳の頃は背筋もまっすぐだったのよー?」
「でもぼく、ナカムラさんが姿勢正しいとこ見た事無いです。いつそんな姿になり果てたんですか?」
「おい失礼だぞコバヤシ」
「あはは、いいよいいよ。うーん、そうだなあ、取り調べの時の姿勢が体に染みついちゃったかなあ」
「あー、机に肘ついて前のめりになってる姿から、机と椅子取り払うといつものナカムラさんの立ち姿になりますねえ、なるほど腑に落ちました」
「お、おれも……」コバヤシの返答に思わずつられるハシバ。
「おい、できたぞ。ナカムラ、する事無いんならパイを切れ」
「あ、僕がやります。母がケーキ作るときは僕がカットする役目でしたから」

「わ、美味しいよハシバ君。お母さん、すごいね」
「へえー、りんごの甘さと酸味が丁度いいねえ、うまいうまい」
「よかったです、母も喜びます」照れながらも頬が少し上気して嬉しそうなハシバ。
「ハシバ君も、ケーキ作れるんだよね」
「ほう」
「甘いものが好きなら、自分で満足いくものを作れるようになれ、と言われて」
「なるほど、自分で料理できれば敵に毒殺される気遣いもないしな、ハシバ財閥御曹司の自衛の一つか」
「どっ、毒殺……」と、今度は青ざめるハシバ。
「ハハハ、いやーそりゃ純粋に坊ちゃんがずっと好きなものを食べられるようにって母心でしょー。いいお母さんだよねぇ」
「坊ちゃんはもうよして下さいよ……でも、ありがとうございます」

「あれ?ハシバ君、一切れ余ってるよ、どうして?」
「ああそうだ、ナカムラさん、これカガミさんに差し入れてもらえませんか。カガミさんも甘いもの好きみたいでしたし。収監されていると、甘党でなくても甘いものが無性に恋しくなるって聞きました。よければ、是非」
ハシバが手際よく包んだ最後の一切れを受け取り、ナカムラは顔をほころばせる。
「いやぁ、こりゃ有難いなあ。あいつ何かと差し入れとか辞退しがちだけど、これは必ず渡すよ。ありがとう、ハシバぼ……ハシバ君」

こりゃ絶対カガミに食わせないとなぁ。
また照れて赤くなる少年を前にして、ナカムラは思った。

酒宴


「警視の髪ってクセがありますよねえ。ガッコとかで先生に目ェつけられたりとかしませんでした?」
アルコールが入って普段より気安さが増した気配のナカムラが、カガミの頭を弄っている。
「ええ、それに髪の色も薄いので染めてるのかと言われてましたね。親がまだ存命中で私と同じ髪質だったので、疑いは晴れましたが」
こちらも酔いが回り警戒心も薄れたのだろうか、髪を弄び続けるナカムラの手を逃れようともしない。カガミはカウンターに置かれた琥珀色の液体を見つめながら、昔の事を思い出していた。
「実は小学生の頃、そうとは知らずに酒を飲まされた事がありました。はっきりと覚えていませんが、おそらくウィスキーだったと思います」
「そりゃ、あぶないなあ。ご両親と飲み食いしてて、ジュースか何かだと勘違いしちゃいました?」
「近所の土手で大人…大学生あたりだったんでしょうが、たむろしていて、私がボールを追って側に行ったときに紙コップを渡されたんです」
ナカムラの手が止まった。「たち悪いなあ……それで?」
「さすがに一寸口にしてすぐやめました、不味くて」
「そりゃそうだ。しかし許しがたい奴らだな、悪ふざけが過ぎる」
ナカムラの顔がいつになく強張っているのを見て、カガミがふわりと笑う。「おや、ナカムラさん怒ってます?大丈夫ですよ、無事家に帰りましたから」
「そりゃ許せないでしょ。わかっててこどもに、しかもこんな度数の強い酒を寄越すなんて」
「こどもはアルコール耐性が弱いですからね」グラスを飲み干すわけでもなく、店の照明でカウンターに映る琥珀色の影を見つめながら、さらにカガミは愉快そうに言った。「でもナカムラさん。現在の私も、強くはありませんよ」
カウンターに置いた腕を枕に、ナカムラの表情を見上げる。いつもの二人とは逆の位置で目線を交わされ、瞬間ナカムラの心臓が大きく鼓動を打つ。
「ふふ、あのとき少ししか含んでいなかったのに、日差しも強かったせいかクラクラして、気付いたときは学生の一人に抱っこされるみたいな恰好でした。学生が胡座をかいた上に座り、背中を胸にあずけて。見上げると、その大学生が、そう、ちょうど今のナカムラさんみたいな困ったような心配そうな顔で見てて、目が合ったらまた眠ってしまって」
ナカムラの顔を見上げたままクスクス笑い目を細めるカガミ。その色素の薄い長い睫毛が照明に照らされ溶けそうになるのをナカムラは陶然と眺める。
「とても、気持ちが良かった……今みたいに、頭を撫でられて、髪に指を差し入れられて」
これは、本当にカガミなのだろうか。誘うようなカガミの媚態に当惑する。
「……警視、そろそろ出ましょうか。明日もある事ですし」
「そうですね」
自分から言い出しながらも密かに未練を残しつつ、心地好いざわめきと琥珀色の芳香ただよう席からナカムラは腰を上げた。

昼間とはうって変わりひんやりとした夜気が、酔いで上気した頰を撫でた。
大通りに続く暗い路地に足を踏み出したとき、前を行くカガミの体がよろめき傾いだのを見てナカムラは慌てて支える。
「大丈夫ですか、警視」
カガミはふうと息を吐き、ナカムラにしがみつく。が、やがて俯いたままくつくつと喉の奥で笑い始めた。
「え、おい」
「……ナカムラさん、私みたいなこどもにお酒を飲ませる時、どんな感じがするものなんです?」
暗がりの中、カガミのアルコール分を含んだ吐息がナカムラの耳元にかかる。「カガミ……」しがみつく体を支えながら、ナカムラはいつの間にか酒場の外壁に背を預けていた。
「今でも」カガミは壁との間にナカムラを挟み、凭れて囁く。
「今でも、ナカムラさんから見れば、私はまだこどもみたいなものでしょう?そういえば、あの学生達と当時の私も、ナカムラさんと今の私くらいの歳の差だったかもしれませんね」
戸惑いと眩暈がナカムラを襲う。遠い日の学生も、同じ感覚を味わったろうか。無防備にその身を委ねる「こども」に、自身も強く囚われる。
無言でカガミの頭を撫でた。店の磨り硝子の窓から漏れる弱い灯りに、カガミの髪が淡く光る。ナカムラはうっとりと目を閉じ、その柔らかな癖毛に指を沈めた。
いましばらく、他の事は忘れ、こうしていよう。

地獄の季節は既に始まっている。

往来


「カガミケイスケ、面会だ」
呼ばれ、カガミは面会室へ向かった。収監されて以来、しょっちゅうナカムラは面会に来る。それこそ以前ともに働いていた数年間と変わらぬ頻度で顔を合わせている気がするほどだ。これほど自分に時間を割いて、刑事の職務はちゃんと果たせているのだろうか。足しげく訪れてくれる、それは間違いなくうれしいのだが、それにこちらが心配する筋合いもないのだが、仮にも彼の上司だったこともある身としては気になってしまう。
「ナカムラさん、そう何度も来ては」床に目を落とし面会室の椅子に腰かけ、目を上げて面会者を見た。「やあー、カガミくん」
影男だった。
「えっ」
「ふーぅ、元気だったかね?といっても直にお会いするのは初めてなわけだが」
「どっ、どうして君がここへ」
「そりゃあ、これをこうして」ガサッ「こうだ!」
「あっ、ナカムラさん!なるほどー、って、いやおかしいでしょう!姿かたち真似たとしても許可証とか」
「あーそれくらいへいきへいき、今どきこんなカードでパスしちゃうなんてセキュリティ甘いと思うよ?とはいえ今日はナカムラ警部に借りたんだけど、ホラ」
ナカムラゼンシロウと印字された許可証。
「ナカムラさん、これをそんな易々と貸してしまうなんて……」
「あ、ナカムラ君は悪くないのだよ。私が勝手に拝借したのだから」
「……なるほど。で、今日はどうして私に?」
「そうそう、実はナカムラ君が寝込んでいてねー」
「えっ」
「しばらくここに来れそうにないみたいなので代わりにワタシが」
「でもなぜ君が」
「まあそんな事は良いから。見舞いに行ってきたまえよ」
「……いえ、それは無理に決まってるじゃないですか」
「うーんんん。君まだ自分が分かってないんだな。まあ、夜になるまで待ちたまえ。出るから」
「えっ」
「ではね、カガミくん。ナカムラ君によろしくぅー」
「えっ」
あっけにとられたカガミを置き去りにして、ナカムラの姿をした影男は出て行った。
「なんだったんだ……あ、ナカムラさん大丈夫かな」

「にいさん」
「えっ」
就寝時刻をだいぶ過ぎた頃、呼び声にカガミは目を覚ました。
「にいさん、そろそろ行くわよ?起きて」
「えっ」
「にいさんさっきから『えっ』しか言ってないよ」
「まさか……トキコ……?」
「あのね、にいさん」"トキコ"は生前のままに首をかしげる仕草で言った。
「にいさんは、もうこの世界の人間じゃなくなってるの」
「えっ」
「にいさんは、もう死んでるの」

「ほら、にいさん」
「だがトキコ、この格好で外へ出るのは」
「もー、どうせほかの人には見えないわよ。でも、にいさんが気になるというなら、ちょっと目を閉じていて」
身体の周りにふわっと風が撫ぜたような気がして、トキコの合図で目を開けると、刑事現役時代のようなスーツと靴の姿になっていた。
「あ」カガミが胸元を見下ろすと、そこには懐かしいネクタイも。
「にいさん、大事に使ってくれてありがとう。一時は外してたみたいだけど、せっかくだからまたしめてほしくって」
久しぶりにしめるトキコの贈ってくれたネクタイ。カガミは顔をほころばせ、いとおしそうにその布地をなでた。
トキコ、俺はまだ思い出せないんだ。俺はいつ、その、死んだのだろう?大体、なぜ影男が俺に伝えに来た?彼はいったい何者なんだ?」
「影男さんはね、簡単に言うと、ちょっと『ゆるい』存在なの。異なる世界を同時に見ることのできる体質、みたいな。にいさんの記憶は……今はまだいいわ。まずは、ナカムラさんのところへ行かなくちゃ」

兄妹は、ナカムラの住むアパートにたどり着く。難なく窓から居室に入ると、果たしてナカムラが使い古された布団にくるまって眠っている。いつものようにこけた頰、目が隠れるほどに伸びた前髪、無精髭。起きている時ならまだしも、眠っていると本当に疲れてそのまま果ててしまったかのような姿だ。
「……ナカムラさん?」カガミは横たわるナカムラに呼びかける。深く寝入っていると思っていたが、思いの外すぐにナカムラは目を覚ました。
「……あれえカガミどしたのこんな時間に……え!?かっ、カガミ!?えっ何お前どうしてなんでなんで!?」
「お休みのところすみません、ナカムラさん。実は俺いつの間にかしん」
「おっはよーございまぁす!ナカムラさん、その節はお世話になりました〜」
「えっ とっトキコさん?なんで君らが揃ってここに、あ、夢?」
「あのですね、にいさん死んでるのは知ってますよね。でも自覚してないから教えに来たの。そしてナカムラさん、あなたも死んでるのよ」
「なんと」
「えっ、ちょっとまて、ナカムラさんも……なのか?」
「そうよ、牛丼チェーン店でバナナの皮ですべって打ち所が悪く」
「なにそのコントみたいな死因」
「嘘だろ……なんてことだナカムラさんまで」
「驚いたねえ、牛丼屋にバナナの皮が落ちてる事もあるんだ」
「と、言うわけで」咳払いをして、トキコが宣告する。「ふたりとも、地縛霊やめて成仏しましょ!」小首かしげる癖も昔のままに。

トキコが惨殺されその骸を吊されたことで、カガミは断罪という名の連続殺人を犯し、ナカムラはギリギリまでカガミを救うべく奔走した。が、叶わずにカガミは刑死、失意でぼんやりとしていたナカムラは足元がおろそかになり馴染みの店で転倒しあっけなく死亡。
「ごめんね!そもそもわたしが気をつけていれば、ふたりもこんなふうに人生に幕を閉じることも無かったね」
「何を言うんだ、お前のせいであるものか!すべてはスナガが、スナガを放置した法が……いや違う、そもそもお前を守れなかった俺の罪だ。そしてお前が殺されたことに逆上して、傲慢にも断罪と称して犯罪者に身を落としてしまった俺の罪だ。すまない、お前の死を二重に穢してしまって。すみませんナカムラさん、俺のために奔走させて、疲れ果てさせてしまって……ッ」
「あああ、ちょっとちょっと、カガミ何泣いてんの~死んでまでさ。みんなでそれなりに頑張って、結果こうなったんだからもういいんじゃない?そんなふうに自分責めてるきみたち見ると、おれだって、もっと良いやり様があったかもしれないのになあって落ちこんじゃうよぉ」
「ナカムラさん、でも」
「でもさ、死んじゃっても今こうして三人で話せるなんて、おれ達けっこうラッキーなんじゃない?トキコさん、よく迎えに来てくれたねえ、でなきゃおれ、死んでんのに気付かないでずっと働き続けてたよーせっかく死んだんだから、気楽に過ごしたいもんねえ。ありがと」
「やだ、もう、ナカムラさん泣かせないでよ死んでるのに。それににいさん、わたしね、もう憶えてないのよ、殺された時の事。だから、そんなふうに思いつめないで」
「ほんとか、トキコ
「ほんとよ。もう、怖くないし何ともないよ。だいじょうぶ」
「そうか……そうか」

「おやー、もう来てたんだね諸君」影男がゆらりふらりとやってきた。
「はーい、その節はどうも影男さん」
「……はっ、ちょっと待て。影男くん、君、ナカムラさんが寝込んでいるから見舞いに来いと言ってたが、病気どころか亡くなっていたじゃないか!」
カガミが食ってかかった。
「いやぁ、だってきみ妹さんがいきなり行ったらびっくりするだろう?それにきみが自分の状態に本当に気付いているか分からないと彼女が言うので、まずはいちおう生身のワタシが、ワンクッション置こうと思ったのだよー」
「いやそれワケわからないし、びっくり回数が増えただけだよ……」
「まあまあ、もういいじゃないにいさん。それに私の方も一応気を利かしたのよ?ナカムラさんを迎えに行くならにいさん一人で行きたいんじゃないかな、なーんて。もしにいさんが知ってて地縛霊やってるなら、愛しのナカムラさんが寝込んで動けないと分かればにいさん自分からすっ飛んでいくだろうって」
「すまん、トキコ。よけい意味が分からないのだが……」
「それじゃ影男さん、わたしたちそろそろ行きますね」混乱しているカガミをよそに、トキコが切り出す。
「あーそうそう、これからも女の子に手ェ出しちゃだめだよー、まあだいじょぶだと思うけどさぁ」ナカムラが影男にくぎを刺す。
「……ナカムラさんは彼の正体をご存じなのですか?」
「へ?あっそーか、そういえばなんで彼、死んでるおれたちとこんな風にしゃべってるんだろうねえ?」脱力するカガミを見て、ナカムラはいっそうヘラヘラする。
「まあ君たち、せっかく死んだのだ、これからは元気に楽しく死人ライフを楽しみたまえ。ではワタシも暇ではないので失礼するよ。今日も少女たちを見守る使命があるからね、ごきげんようー」
「元気に……死人ライフ……」
「ははは、ほーらカガミ、リラックスリラックス~」

幻想と奇想の乱歩奇譚世界で、彼らの最期はこのようなものであったかも知れない。

6月のおもいで


「ナカムラさんいらっしゃいますか?……あれ、ここにもいない」
「なんだぁ、お前がここに顔出すって珍しいなカガミ」
換気レベルを最大にしてもなお視界が良くない部屋の中から声がする。
「一課にも姿が見えませんし、出かけるという報告もないんですよ。ご存じありませんか」
「トイレじゃないの?」「個室で唸ってないかあ」
続く笑い声を背にして、やれやれと頭を振りながら次の探すアテは、と首をかしげる
「コールしても出ないしなあ」ともう一度スマホで呼び出す。と、聞き覚えのある呼び出し音が隣の小会議室から響いてきて、急ぎドアをノックして開ける。
「ナカムラさん?」
だが其処にもナカムラの姿は無かった。途方に暮れるカガミの耳に、しかし引き続き聞こえるコール音。
「あ、あった、ナカムラさんのケータイ!」
それはコの字型に並べられた長机の端で、所在無げに振動しつつ呼び出し音を発し続けていた。だが、持ち主はいったいどこへ?
途方に暮れるカガミ。その背後からいつもの間の抜けた声が呼び掛けた。
「あっれえカガミくん、どしたの?」
「……どしたの、じゃありませんよナカムラさん!いったい私がどれだけあなたを探し回ったか、いったいどちらへ行かれてたんですか!!」
一瞬、安堵の後どっと沸き起こった怒りを抑える事が出来ず、カガミは一気にまくしたてた。
「ああー悪い悪い、ちょっと腹具合がおかしくてさぁー」
「ほんとにトイレだったんですか......」
一気に脱力するカガミ。
「まぁ、わかりました…...2課と打ち合わせの時間ですよ、早く行きましょう」
「ごめんねぇ、でも会議途中で中座するのも何だしさぁ」
首すくめて後輩の叱責をうけながらも、へらへらと緊張感のないナカムラ。カガミはそんな彼を見て、あきれつつも和んでしまう。
「仕方ないですねえ……あ、そうだ」
とナカムラのケータイを取り出す。
「ナカムラさん、会議室にこれお忘れでしたよ」
「あ!?あっ、あれぇ、ほんと?」
上着の内ポケットやら尻ポケットをまさぐるも、目指すものがなくみるみるナカムラの顔は青くなる。
「カガミくんが拾ってくれたのかぁ、よかったー」
「気を付けてくださいよ、ナカムラさん」
笑ってナカムラにケータイを渡す。ところが、ナカムラは受け取ったケータイを手の中でモゾモゾもてあそびながら、なぜか重そうに口を開く。
「えっとね、カガミくん……」
「はい?急がないと、皆さんお待ちですよ」
「あぁ……、あのさ、ケータイの中、見ちゃった?」
カガミはそれを聞いて少しムッとする。
「そんな、ナカムラさんに無断で見たりしません!」
「う、うーんそうだよねーごめんねー」
「……?なんです、何かご懸念があるのですか?」
「うーん、いやぁ……」
「わかりました。」
「はい?」
「ナカムラさん。ケータイを見せていただけませんか。」
「ええっ」
「ナカムラさんとの間に私は、このようにもやもやした気持ちを持ち続けるのは、いやです。見られると困るものですか?ナカムラさんの人生が狂うようなものですか?」
「いやーそんなことは、無い……と思うけど、ね」
「はい、ナカムラさん」
カガミはナカムラの前に掌を差し出す。
「うん」ナカムラは、渋々ながらケータイをカガミのてのひらにのせる。
すると、カガミはぱぁっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます。もう納得しました、お返しします。ためすような真似をして申し訳ございません!」
中もあらためぬまま、カガミはまたナカムラにケータイを返す。
「え、いいの?」
「はい!」
ナカムラはあっけにとられて、返されたケータイを手にしたままカガミを見る。
「そう来たかあ……よしっ、見せちゃお!」
そう言って、ぱかっとケータイを開き、カガミの方へ警察手帳のように突き出す。
「ごめんなカガミ、ほら」
「……あ」
開かれたケータイの待ち受け画面には、自分が紫陽花に向かってスマホをかざしている姿があった。
「ナカムラさん、これ一体いつ...?」
「はは、まだ君がここにきて間もない頃にさ、あそこの公園の紫陽花にカタツムリがいるの見つけて夢中で写メ撮ってたことがあったの、おぼえてない?」
「うーんんん?」
「はは、もうおぼえてないかぁ、そりゃそうかあ、でね、あんまりカガミくんがかわい……いや、絵になるからさ、つい撮っちゃったんだ。ついでに待ち受けにもしちゃってさ、ついついずっとそのまんまで……ごめん!!」
「ナカムラさん!」カガミが勢い込んで大声を出す。
「ひえっ!?ごめんね!?」
「いえ、私も思い出しました、確かまだ……これです、この時ですよね!?」
カガミはスマホで指をせわしなく動かし、めざす画像を見つけ出した。
「あ、そうそう、その日付!思い出したかあ、いやぁ無断で隠し撮りみたいなことしちゃって今まで黙ってて、ほんと悪かったよね」
「ありがとうございます!」
「へ?」
「私の写真を、大事に待ち受けにまでしていただいて、本当に嬉しいです!」
「……怒んないの?」
「なぜです?」
カガミはきょとんとして聞き返す。
「いやぁ……だってさ、気持ち悪くない?」
「そういうものですか?あ。待ってください」
カガミはスマホの上で指を素早く動かし、「見てください」と画面を差し出す。
「へ、なになに……ってうわっ!!」
そこには、一面ナカムラの姿を撮影した画像が並んでいた。
「なにこれ!?いつの間に?」
「私も、日々のナカムラさんの姿をとどめたくて、ずっと撮り続けているんです。ホラ、この写真なんか我ながらよく撮れていると思うんですよ……!」
「お、おい……」
「ほら、これも……あとこっちのは、ブレてしまったんですがかえって躍動感が」
「おい!」
「あっ、はい?」
「いい加減にしろよこの野郎!!」
「えっ?何がですか??」
「なにって……、……まあ、……いいか……」
「いいでしょう!ほらこっちのアルバムには撮る角度にこだわった画像をですね……」

「おい、そこのふたり!!」

廊下に響き渡る大声にびくっと肩をすくめる。
「ナカムラ!なにやってんだ、もう時間過ぎてんだぞ、さっさと来い!」
二人は顔を見合わせ、慌てて怒鳴り声の主の方へ走り出す。

走りながら、
(こいつって、ちょっとやばい奴なのかなあ……)
と自分の事は棚に上げて思うナカムラであった。
 

「ふぁー今朝も眠いねえ」
いつものように布団の温みを名残惜しく思いつつナカムラが伸びをする。窓の方を見ると既に開いているカーテンから光はまだ漏れていない。
「あらー、今日はおてんとさんも寝坊かな」そんな事をまだ目ざめきらぬ頭でぼんやり考えていると、玄関のドアが開く音がした。
「あ、起きてらっしゃいましたかナカムラさん」
「おーカガミおはよ、また走ってきたの?まいんちえらいねえ」
「いえ、習慣ですから。すみません、すぐ支度します」
「ああ、いいよいいよ、先にシャワー浴びといで。」

カガミが出所して、ひと月が経とうとしていた。身を寄せるあてのないカガミを、ナカムラが当然のように自宅に呼んで以来、窮屈ながらも割と愉快に共同生活を送っている。
当初カガミはナカムラに気遣って同じ時間帯に寝起きしていたが、やがて、収監前までは毎朝続けていた早朝ジョギングを再開するようになっていた。
そして、朝食を作るのはカガミの役割だ。不器用ながらも生来の生真面目さ故で、着実に手際も良くなってきている。

「お、納豆にオクラが入ってる。これ美味いよねー」
「旬なので刻んで入れてみました。ナカムラさんも好きならよかったです」
「うん、ネバネバは体に良いしねえ。味噌汁も塩梅良いなあ、カガミ腕上げたね」
「ありがとうございます、ようやくダシを入れるのを忘れないようになってきました」
「おっと、ちょいとゆっくりしすぎちゃったかな、ごちそうさん
「はい、行ってらっしゃいナカムラさん。……あ、そうだ。これから降りそうな感じでしたから、傘忘れずに持っていってください」
「はいよーありがとな、カガミ」

ナカムラが出かけるのを見送り、部屋に戻ったカガミが食器を片付けようとすると、ちゃぶ台の上にナカムラの携帯が置きっぱなしになっているのに気がついた。
「まずい!追っかけないと」
ひっつかんで出ようとした矢先、携帯が鳴った。
「はい、ナカムラさん?」
「ああカガミ、よかったー」ナカムラがホッとした声で応答する。
「いまどちらですか、これから追いかけようとしたところです」
「ああ、いいよー、近いしいったん戻るよ。じゃ」
ガチャン
「うーん、ほんとはこっちから持ってった方が時間のロスも少なくて良いんだが…仕方ない、待つか」
カガミは携帯を置いて台所に戻ろうとしたが、「……あれ?」と思い、またちゃぶ台に戻る。携帯を再び手に取り、パカッと開けた瞬間。
「あっ」
と声が出た。
懐かしい画像。まだ「カガミちゃん」と呼ばれていた頃、署の近くの公園でカタツムリに夢中になって写真を撮っている姿を、ナカムラが撮影したものだ。そして、その数年後、ナカムラが自分の携帯の待ち受けにしていることを「自白」したのだった。……懐かしさと当惑に、カガミはナカムラの携帯を持ったまま、ぼうっと立ち尽くす。

「……ただいま?」
すぐ後ろで声がして、カガミは飛び上がった。
「な、ナカムラさん」
「どしたのよーチャイム鳴らしても出ないしさ……あ、それ」
ナカムラがカガミの手にした携帯を指さす。カガミははっと気がついて、ナカムラの手に携帯を渡した。
「ナカムラさん、まだその待ち受け使っていたんですか」
「あ!ハ、ハハハ、そうなんだよねぇ、ほらほら、以前カガミに良いよって言ってもらえたからさぁ。他に使いたい写真もないしさぁ……えっと、まずかった?いいよね?」
「ナカムラさん」
何をどう答えていいのか、ちょっとの間、頭が回らなかった。
ほんとに、このひとは。
「勿論です。いえ、懐かしくて、それにあれからだいぶ経つのに、今でも待ち受けにしていただいてるなんて、びっくりして」
「これ、カガミいい顔して笑ってるよねぇ。おれ、カガミがうれしそうなの見るの好きなんだ。でもそんなのカガミはキモいのかなぁって、実は気になったりしててさぁ」
「いえ、ずっと使ってもらってて、俺も嬉しいです」
顔をほころばせた途端、思わず涙がこぼれた。
「え、なにカガミ、泣いてんの?」
「あ、あれ?」ぽろぽろと止まらない涙に、カガミ自身も当惑する。
「やっだなあ、そんなに嬉しいの?なんか照れるじゃない」ナカムラは、そんなカガミの背をぽんぽんとたたいて言った。「そんなに嬉しいなら、その泣き顔も撮っちゃうよー?ついでに待ち受けにしちゃおっかなあ~」
「い、いや、それは勘弁してください!!」
あわててカガミが制止する。一瞬ののち、顔を見合わせ二人は吹き出した。
「はは、は……あ?おれ何しに家戻ってきたんだっけ」
「あっ、ナカムラさん、時間は」
「……え?ああっまずい、遅刻だー!」「ナカムラさん携帯を!」
ナカムラは、ばたばたと慌ただしくまた玄関を駆けだしていった。

はー、と息をつく。そして、
「ありがとうございます。」
カガミは、ナカムラの走り去った方角へ、頭を下げて呟いた。


機種こそ何度か変わったが、ナカムラの携帯の中にいるカガミは、いつも目を輝かせカタツムリにスマホを向けて笑っている。


これは2017年のカガナカカレンダー6月用に書いた短文の、後日譚です。
www.pixiv.net

地下へ


直通エレベーターが警視庁最下層へと辿りつく。
分厚い鋼鉄の壁で周囲の音が完全に遮断された空間で、自身の足音と衣擦れの音のみを聞きながら、長い廊下を目的の房へ向かう。
突き当りに立つ当直官にバッジを見せ、正面のドアが重低音を響かせ開いてゆくのを眺める。
入室し、さらにだだ広いコンクリート空間の奥、目指す男が待っていた。
「や、調子どう?」
ニィッと笑いナカムラがカガミに問いかける。
「ええ、おかげさまで」
冗談とも皮肉ともとれそうな返事をする。
「カガミ、ちょっと瘦せたんじゃない?ちゃんと食ってる?」
「べつに変わりないですよナカムラさん」

「で?なにか訊きたいことがあって来たんでしょ?」
「ええ、三年前にナミコシがあなたと最後に交わしたという電話について」


ナカムラが現・二十面相となり、わずか一週間で15人もの老若男女を殺害してからすでに三年が経っていた。犯行当時、ナカムラの上司でパートナーでもあったカガミ警視は、16人めの「断罪」を機関ヤタガラスのかかえる少年探偵アケチの助言を受けて阻止、ナカムラを捕縛。……が、その後も二十面相の出現は続いていた。

「でもね、二十面相は終わらないよ」


「昨日、三年前失踪したナミコシを名乗る人物がネット上に現れ、暗黒星の再起動を宣告しました。投稿された動画がこれです」
カガミは持参したタブレットPCの画面をナカムラに向けた。
「投稿時の声は加工処理されていましたが、ある程度の復元を施した結果、ほぼ彼に間違いないという判定結果が出ました。ナカムラさん、あなたがナミコシと交わした電話の内容について、もう一度詳しくお聞かせ願えませんでしょうか」
「うーん、もうかなりおぼろげになっちゃったなあ。わたしが逮捕された直後にとった調書見た方がいいんじゃないの?」
「当時のあなたの供述は、相当伏せられた部分があるように思えます……ああ、私が直接あなたの取り調べをすれば良かったのですが。私が担当から外されず、さらにトキコが拉致されていなければ」
「あぁそうだったねえ。妹さんは元気?」
「ええ、お陰様で。今はイタリアへ研修に行っています」
互いに気を許すことは無いようで、それでも時折、ふたりは過日のように言葉を交わす。


「ナカムラさん……なぜ」
目の前の光景が信じられず、カガミは立ち尽くす。
「あなた以前、自分だけで悪を認定して裁くなんて傲慢だ、と言った。なのに」
「だって、悔しがってたじゃん。捕まえても捕まえても、彼らは解放されちゃう、って。こないだも、ワタヌキに殴りかかってたでしょ?だめですよー取調中にそんなことしちゃ。わたしが抑えなかったら、もう一発殴ってたよね。そこまでしたら降格処分食らうよ?」
伏せていた顔を上げ、ナカムラはいつもと変わらぬ笑い顔で続けた。
「ま、でもね、警視は真っ正直すぎるけどそこが警視の良いところだもんね。それにね、警視があいつらに愚弄され続けるの、そろそろ我慢の限界だったしさ。だからさ、カタつけちゃったんだよ。まあ、見つかっちゃったし、もう、ここまでかな」
「私のせいですか?私が、あなたを犯罪者にしてしまったんですか」
「いやまあ、丁度良い頃合いだったんだろうねー。自分だけで、悪を認定するのはいかんでしょうが、警視もさ、彼らを世に再び解き放たれてしまうのが納得できないって言うからさぁ、それでね、ああもう我慢する必要なんて無いかなー、って思ってさ」
「ナカムラさん」
「だからさ、警視のせいじゃないよ。きっと、わたしはいつかはこうしてたんだよ」
「嫌です」
「警視?」
「嫌だ。どうして俺があなたを捕らえなきゃならないんだ。ナカムラさん私も」
「やめな」
ナカムラはカガミの目を睨み低く怒鳴った。
「おまえ、カッとなって撃とうとしたり殴ろうとしたり逃げようとしたり、いつまで新米気分でいるんだよ。おれはね、随分長く堪えてたんだ。それをお前みたいな若造がカンタンに真似しようなんざ冗談じゃないよ?」
凄みをきかせた声に思わずカガミがひるんだ。ナカムラはそれを見てまたへらっと相好を崩す。
「さあ、カガミ」
「もう、嫌ですナカムラさん」
「ホラ、駄々をこねないでさ。探偵さんに任せようなんて思うなよ。おまえが、おれに引導を渡すんだ」



ナカムラはカガミ警視により逮捕、しかし取り調べは手加減することが無いよう別の人間に任された。その頃すでに二十面相が広く世間より義賊扱いされており、処遇によっては騒動を引き起こしかねないと危惧されたため、ナカムラの身柄は新宿プリズンに移され外の目に晒されることはなくなった。ただカガミだけが、ナカムラの元を訪れる。



「ご協力ありがとうございます。では、いずれまた伺います」
「ふふ、お役に立てれば光栄至極。そんじゃあまたね、カガミちゃん。」

休暇

ナカムラさん、もう俺は、死刑が確定した人間です。そんな望みの無い人間のもとへ、ナカムラさんが日々、訪れてくださるのが、俺は正直辛いです。俺が犯罪者に堕ちるのを阻止できなかったと、あなたは負い目に感じているかもしれませんが、断じてあなたが責任を感じる事など無いのです。仕方ないことだったんですよ、俺はあの時ああするしかなかったのです。誰が止めても、たとえあなたであっても、俺は躊躇わず排除して、ことを成していたでしょう。……ああ、あの時、あなたが俺の前に立ちふさがらなくてほんとうによかった、あなたに手をかけてしまったかもしれないと思うと、今もこの身がすくみます。ナカムラさん、俺は未だにあの殺人の数々を本当には悔いてなどいないのです、おのれの罪を悔いようとしない彼らを可能な限り断罪し続けた傲慢な罪を、おれ自身も悔いてなどいないのです。ただ、あなたが、辛そうな顔をするから。あなたが俺に会いに来るたび、辛そうで、それでもそう思わせないように努めて話をするあなたの辛さが、俺にはすっかり透けて見えて。ああ、あなたが早く俺を見限ってくれればいいのに、ここに来るのをすっかり忘れてしまえばいいのに、と面会するたび思う日々で。ナカムラさん、忌まわしいあの日、早く帰ると言っておきながら遅くなってしまったのも、トキコを独りきりにして、およそあの子に相応しくない、酷い、おぞましい目に合わせてしまったのも、全ては、おれの愚かさのせいです。俺の自業自得の愚かさのせいで、あなたに辛い思いをさせる事になってしまってごめんなさい。でももう、俺に構わず、あなたを求めている他の多くの人々のもとへ帰って下さい。……ああ、でも本当にそんなことを言ってしまったら、あなたはますます気に病んでここに通い続けてしまうでしょうね。優しい、優しい、ナカムラさん、さようなら。どうか、はやく、はやく、俺の刑が執行されますように。……こんな罪人でも、もしも望みが叶うなら、一幅の絵の中で、トキコと俺が一揃いで宿り、動かぬ平穏な絵の中で、いつまでも、いつまでも、じっと静かに過ごしたい。身の程知らずな願いと判っていても、願うという事すら俺にはもう赦されないと思うけど、願わくば、もしも願いが叶うなら


ナカムラはすっかり顔なじみとなった看守から、カガミの過ごした独居房の寝台脇の壁に残された、遺書めいたものの存在を告げられた。許可を得て見たその壁に、ひっかき傷のように書き残された小さな文字をしばし立ち尽くし眺めた後、看守にすっかり消してしまうように頼んで、ひとり房を後にした。
「ばかだなあ」
誰に言うともなく呟いて、カガミが収容された病院へ向かう。猫背でうつむいたその顔は、うっすら笑いを浮かべていた。

食事を全く受け付けなくなったカガミは、強制的に栄養をやせ細った腕に流しこまれ呼吸器を取り付けられて横たわっていた。両腕両脚は自傷しないように、逃げ出さないように、寝台に括り付けられている。
「あーああ、かわいそうに。……カガミ、起きてるか?おれの声、聴こえる?」ナカムラがカガミに話しかける。睫毛がかすかに蠢くのを見てナカムラは言葉を続けた。「なあカガミ、壁に書いてあったの、読んだよー。……読んじゃってもよかったよね、おれ宛てだよね?」言いながら立てかけてあるパイプ椅子を引きだして腰かける。「おまえがおれと会うのが苦痛だって、おまえと会って苦痛を感じるおれと会うのが嫌だって、書いてあった。ごめんな、おまえなんにも食べれなくなって、挙句こんなになっちゃったのも、おれがおまえのしんどさを分かってやれなかったせいなんだよな。でもさ、悪いけどおれはまだまだおまえに会い続けたいんだよね。ねえ、カガミがいなくなったら嫌だよ。絶対に嫌だよ。でもおまえはきっと、おれに会わない方が良いと思い続けるんだよな。だからさ」ナカムラはやおらカバンから、望遠レンズ付きのカメラのようなものを取り出した。
「ねえカガミ、おまえ写真の中に入っちゃえよ。このカメラさ、望遠が逆になってるんだ。おまえの体がすっかりとレンズにおさまるように撮ってやるよ、おれ、こう見えても写真撮る腕前良いんだよ、誰も来ていない今のうちに撮ってやるよ、いいかい、はい、チーズ」
病室に、シャッター音が響く。ナカムラは塩梅を確認すると、満足そうに頷いてカメラを仕舞い立ち上がって、ドアのノブに手をかけた。回す前にいちど寝台を振り返り、にっこり笑い、そして、ドアを閉め出て行った。

「あ、ナカムラさん、ナカムラさんですよね?皆探してましたよー、どこ行くんです?」探偵助手が、列車の座席に居心地良さそうにおさまっているナカムラを見つけて声をかけた。
「おやあコバヤシ君、きみこそどしたの、探偵さんのお手伝い中かな?」
「はい、久しぶりに二十面相が出たらしいんですよ、センパイは模倣犯だって思ってるみたいですけど」
「ふーん、ごくろうさまー。わたしの後任もうまくやってるみたいだね、結構結構。わたしはね、ちょっと長旅に出るんでしばらく留守するよ」
「……ナカムラさん?隣の風呂敷、何です?」
「あっは、みる?」ナカムラは風呂敷の結び目を解いて、取り出した額を窓越しにコバヤシに見せた。
「わぁ、シロツメクサの原っぱですねー気持ちよさそうだなあ」言いつつ、おや、と首をかしげる。「この、花の横にみえるもの、何です?」
「ふふー、花の妖精みたいでしょ。写真を合成して仕立てたんだよ。いったん作ってみたら愛着沸いてねえ、旅先にも連れてっちゃおーと思ってさぁ」
「へえ、ナカムラさんてロマンチストなんですね。写真が趣味だったなんて意外だなあ」
コバヤシが興味深そうに写真の額に見入っていると、場内で発車を知らせる音楽が鳴り始めた。
「じゃあね、コバヤシ君。きみらと一緒になんやかや、あれやこれやしたの、なかなか楽しかったよーまたねえ、元気でねえ」ニッと笑いナカムラが言った。
「ハイ、僕もです。ナカムラさんたちも、良い旅を!」

ゆっくりと滑り出した列車の中、ナカムラはビールのプルタブを開け、誰にともなく話しかけた。「ふふ、やっぱりコバヤシ君はおもしろい子だねえ。きみらも、そう思うだろ?」
額の中、シロツメクサの花の横で、一対の小人がひっそりとくすくす笑い、草原の中に消えていった。