zencro’s diary

乱歩奇譚SSと雑記

階段


この階段を降りるのも、もう何度目になるだろう。

無愛想な蛍光灯が控えめに点灯するしんとした階段室。めざす場所は地下深いところで、途中のフロアは一切無い。震災後しばらくはエレベータ使用を憚り階段を利用する者もいたが、いまはまたほとんどの署員がエレベータで昇り降りしてる。だから、今もこんなところをのんびりと降りていくのはおれくらいのものだ。まいにち自分ひとりの足音が階段室に響くのを聞きつつ粛々と降りていく。殺風景なこの階段室を、おれは結構気に入ってる。外部の喧騒から逃れ、ひんやりとした空気の中に佇んでいると、まるで塔の中を移動する修道僧のような心持ちになっていく気がする。修道僧の心持ち、なんてどんなものか、実は知らないけど。
前はここでもタバコが吸えたんだ。もちろん今は吸えない。階段昇り降りしながら吸うなんて酔狂は、俺くらいなもんだけど。薄暗い中、天井近くの窓からうっすら光が差し込む時分、昇っていく煙が綺麗だな、とか思ってた。
地下へ段々と降りていくと、意識も深く深く潜っていく気がする。

嫌いだった、赴任したての、熱意のこもった、ただまっすぐな瞳が。
何も知らないくせに。現実を知れば、あっという間に冷え切ってしまうだろうと思ってた。でも、あいつはいつも、おれの言う事を何の疑いもなく信じて。

「誰かが悲しむのを、少しでも減らしたい」という願いはずっと変わらず、呪いのようにあいつの心に染みついて。最も守るべき妹が引き千切られた後では、願いは変質して肥大化して暴走して。
一方で冷たく静かに、あいつは終わりを見定めて。
いつか探偵さんに暴かれる。それまでに少しでも多くと。
死体をつくるごと、自罰の傷を心に深く刻んでいった。完全に狂って楽になってしまわない程度に、ざくざくと。

もう、あのまっすぐな瞳はそこにない。
……それでも、まだ、彼が希望のようにおれには見えて。

ずっとわかっていたんだ、縋っていたのはおれの方だったと。
まっすぐにおれを見る瞳が眩しすぎて、どうせすぐに冷えて消える光だと何度も自分に言い聞かせて、それでもどこかで、その光は何があっても消えないと、消えてほしくないと。おれは何度もあいつのまっすぐな瞳を確認して、その眼差しが俺を向いている事を何度も確認して。初めて見た時からおれはずっと、そのまなざしを瞳の光を、全ての拠り所にしていたのだ。

「冷え切って固く凍りついた岩は、もう熱く燃えさかることはありません。いまさら柩の扉を叩いても、あなたの知っているカガミはもう死んでいますよ」

そう告げているような瞳に会いに、今日もこの階段を降りていく。いっそ、嫌らしい、汚らしいものを見るような目を向けてくれればいいのに。そんなふうにすら、もうおれを見てくれることは無い。
それでも、おれは面会の部屋へ降りていく。まるで、嫌がらせのように。

あいつが、おれを忘れないように。


※一部『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第16話の台詞を拝借しています

去日


どの位こうしていたんだろう。
六畳間に猫背で胡坐をかき、頭の奥でシーンという音を感じながらぼうっとしていたら、窓の外は夕焼けから夜空になってた。

どのくらい一緒に居たっけ。ほんの数年なんだよなあ。「ちゃん」、から初手柄で「くん」呼びになるのは早かったね。さらにキャリア組だから、あっという間に警視になって。


「ほんとはナカムラさんと一緒に住みたいんです」
 部屋に遊びに来ていたカガミがふとそう言った。
「でも、妹をひとりにさせる事なんて考えられない」
「ふふ、君はそう思っていてもさぁ、トキコさんもじきお嫁さんになって出てっちゃうんじゃない?」
「……あぁ、考えたこともなかったです」
「えっ、ほんと?そりゃあ、またずいぶんと」
「でも、考えてみたらそうですね。トキコはいつか学生から社会人になって、何処かの誰かと結婚するかもしれない。」
「そうだよー。海外でデザインの勉強を続けたくなるかもしれないし、友達と事業を始めるかもしれない。いつか、あの部屋から出て行ってしまうかもね。あー、でも君の事が心配でなかなかそうはできないかなあ。君、家事はからきしだもんな」
「私とトキコは、いつまでもずっと一緒に暮らすんだ、と思っていました……」
「あぁほらほら、たとえばの話なんだからさ、いちいち落ち込まないの。一緒に居ればいいじゃん。一緒に居て幸せなうちは、無理して別居することなんてないよ。君ら兄妹はおひな様みたいにお似合いな二人だよー」
「ですが、ナカムラさんとも一緒に住みたいんです」
「君はさ、家族がほしいんだね」ナカムラはカガミを見上げて目を細める。
「だいじょうぶ、焦らなくても、きっとカガミはにぎやかな良い家族を持てるよ」
「俺は、トキコとナカムラさん以外の家族なんて想像できません」
「いいねえ、楽しそうだねえ。でもさぁ、君は、まだ若いんだからさ。これから先、君はたくさんの人と出会うんだ。そう決めつけちゃ駄目だよ」


えらそうなこと言って、いいかげんなこと言って。これ以上ないってくらい、あいつひとりぼっちになっちゃったじゃないか。家族どころか、これじゃ、おれはまるで貧乏神だよ。
カガミちゃん、から始まって、カガミくん、になって、やがてカガミ警視、になって、そしてただの、カガミ。呼び名はどんどこ変わってったけど、いつだって、好きだったよカガミ。

夜は更けて窓の外、漆黒の空にはほそくほそく、折れそうな月が引っかかってる。

家族になろう

そう言えてたら、どんなに良かっただろう。

バレンタイン


ナカムラが待機する車に、カガミがドアを開け助手席に座った。
「あー警視、明日の捜査ですがね、…え?」
車を出そうとするナカムラの手を遮り、カガミがキーを戻した。
「えっ?何なに、なんなの?」
「もう、いいかげんにしませんか」
いつもの穏やかな口調と違うカガミに、ナカムラはわざとお道化た口をきく。
「ヤッホー?どったの警視?ずいぶん機嫌悪いじゃない」
「ナカムラさん、あと一日で人生が終わるとわかったら、何をします?」
「ええ~、いきなり何です?」
警視は係長の両肩を掴み、真正面から係長の顔を覗き込む。
「あと数時間で自分が死ぬと知ったら」
カガミはナカムラの座る運転席のシートを倒す。
「私は、今までずっとやりたくて我慢していたことを、します」
(えっ)
カガミの若く柔らかい唇がナカムラの口をふさぐ。
あまりのことに驚いて硬直し、身じろぎもせず、カガミのなすがままにされるナカムラ。
それをいいことに、カガミは口付けながらナカムラのネクタイを緩めシャツのボタンを性急に外していく。
そしてスラックスのベルトに手をかけたところでさすがにナカムラが顔を横にねじって怒鳴った。
「こら待てカガミッ!」
「待ちません」
「なっ!?良いから、ちょっとおれの上からどけ、おいっ」
「どきません」
頭にきてまた怒鳴ろうとしたナカムラは、カガミの顔を見て言葉をひっこめた。
カガミ警視が、もとの端正な顔をくしゃくしゃにして、体裁も構わず今にも泣きだしそうな表情をしている。
「お、おい?一体どうしたんだよ?」
「今朝、夢を見たんです」
「ゆめェ?」
トキコが、妹が死ぬ夢です。ナカムラさん、どうしよう、トキコは最後の肉親なのに、守れなくって、妹が死んだら俺は、もう生きていけない、トキコが居ない世界で生き続ける意味が見つからない、そう、俺も死にます、そして死ぬんだったら、もうこれ以上こらえる意味なんてない、ナカムラさん、俺は」
ナカムラは泣きながらわめき続ける上司を唖然として見上げた。
「お、おい落ち着けよ?夢の話だろ?いま現在、妹さんは生きてるんだろ?何でそんなに取り乱す必要があるんだよ?」
「あなたは、何もわかってない」
ベロベロの泣き顔から、急に真顔になったカガミが低い声で言った。
「私がどんな理想を掲げていても、唯ひとつ、私の妹が奪われたら、それだけで私の人生は終了を告げる。そのことに俺は、ようやく気付いたんですよ」
冷たく浸食する真実。
「思い残すことも、唯ひとつ、ナカムラさん、あなただけなんです」

カガミの人生に必要なのは妹だけ、そしてナカムラが居れば、世界はそれで完結する。
エンジンと共に暖房も切れていた車内は、どんどん寒気が増してゆく。

冷たい、冷たいバレンタイン。