zencro’s diary

乱歩奇譚SS

階段


この階段を降りるのも、もう何度目になるだろう。

無愛想な蛍光灯が控えめに点灯するしんとした階段室。めざす場所は地下深いところで、途中のフロアは一切無い。震災後しばらくはエレベータ使用を憚り階段を利用する者もいたが、いまはまたほとんどの署員がエレベータで昇り降りしてる。だから、今もこんなところをのんびりと降りていくのはおれくらいのものだ。まいにち自分ひとりの足音が階段室に響くのを聞きつつ粛々と降りていく。殺風景なこの階段室を、おれは結構気に入ってる。外部の喧騒から逃れ、ひんやりとした空気の中に佇んでいると、まるで塔の中を移動する修道僧のような心持ちになっていく気がする。修道僧の心持ち、なんてどんなものか、実は知らないけど。
前はここでもタバコが吸えたんだ。もちろん今は吸えない。階段昇り降りしながら吸うなんて酔狂は、俺くらいなもんだけど。薄暗い中、天井近くの窓からうっすら光が差し込む時分、昇っていく煙が綺麗だな、とか思ってた。
地下へ段々と降りていくと、意識も深く深く潜っていく気がする。

嫌いだった、赴任したての、熱意のこもった、ただまっすぐな瞳が。
何も知らないくせに。現実を知れば、あっという間に冷え切ってしまうだろうと思ってた。でも、あいつはいつも、おれの言う事を何の疑いもなく信じて。

「誰かが悲しむのを、少しでも減らしたい」という願いはずっと変わらず、呪いのようにあいつの心に染みついて。最も守るべき妹が引き千切られた後では、願いは変質して肥大化して暴走して。
一方で冷たく静かに、あいつは終わりを見定めて。
いつか探偵さんに暴かれる。それまでに少しでも多くと。
死体をつくるごと、自罰の傷を心に深く刻んでいった。完全に狂って楽になってしまわない程度に、ざくざくと。

もう、あのまっすぐな瞳はそこにない。
……それでも、まだ、彼が希望のようにおれには見えて。

ずっとわかっていたんだ、縋っていたのはおれの方だったと。
まっすぐにおれを見る瞳が眩しすぎて、どうせすぐに冷えて消える光だと何度も自分に言い聞かせて、それでもどこかで、その光は何があっても消えないと、消えてほしくないと。おれは何度もあいつのまっすぐな瞳を確認して、その眼差しが俺を向いている事を何度も確認して。初めて見た時からおれはずっと、そのまなざしを瞳の光を、全ての拠り所にしていたのだ。

「冷え切って固く凍りついた岩は、もう熱く燃えさかることはありません。いまさら柩の扉を叩いても、あなたの知っているカガミはもう死んでいますよ」

そう告げているような瞳に会いに、今日もこの階段を降りていく。いっそ、嫌らしい、汚らしいものを見るような目を向けてくれればいいのに。そんなふうにすら、もうおれを見てくれることは無い。
それでも、おれは面会の部屋へ降りていく。まるで、嫌がらせのように。

あいつが、おれを忘れないように。


※一部『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第16話の台詞を拝借しています

去日


どの位こうしていたんだろう。
六畳間に猫背で胡坐をかき、頭の奥でシーンという音を感じながらぼうっとしていたら、窓の外は夕焼けから夜空になってた。

どのくらい一緒に居たっけ。ほんの数年なんだよなあ。「ちゃん」、から初手柄で「くん」呼びになるのは早かったね。さらにキャリア組だから、あっという間に警視になって。


「ほんとはナカムラさんと一緒に住みたいんです」
 部屋に遊びに来ていたカガミがふとそう言った。
「でも、妹をひとりにさせる事なんて考えられない」
「ふふ、君はそう思っていてもさぁ、トキコさんもじきお嫁さんになって出てっちゃうんじゃない?」
「……あぁ、考えたこともなかったです」
「えっ、ほんと?そりゃあ、またずいぶんと」
「でも、考えてみたらそうですね。トキコはいつか学生から社会人になって、何処かの誰かと結婚するかもしれない。」
「そうだよー。海外でデザインの勉強を続けたくなるかもしれないし、友達と事業を始めるかもしれない。いつか、あの部屋から出て行ってしまうかもね。あー、でも君の事が心配でなかなかそうはできないかなあ。君、家事はからきしだもんな」
「私とトキコは、いつまでもずっと一緒に暮らすんだ、と思っていました……」
「あぁほらほら、たとえばの話なんだからさ、いちいち落ち込まないの。一緒に居ればいいじゃん。一緒に居て幸せなうちは、無理して別居することなんてないよ。君ら兄妹はおひな様みたいにお似合いな二人だよー」
「ですが、ナカムラさんとも一緒に住みたいんです」
「君はさ、家族がほしいんだね」ナカムラはカガミを見上げて目を細める。
「だいじょうぶ、焦らなくても、きっとカガミはにぎやかな良い家族を持てるよ」
「俺は、トキコとナカムラさん以外の家族なんて想像できません」
「いいねえ、楽しそうだねえ。でもさぁ、君は、まだ若いんだからさ。これから先、君はたくさんの人と出会うんだ。そう決めつけちゃ駄目だよ」


えらそうなこと言って、いいかげんなこと言って。これ以上ないってくらい、あいつひとりぼっちになっちゃったじゃないか。家族どころか、これじゃ、おれはまるで貧乏神だよ。
カガミちゃん、から始まって、カガミくん、になって、やがてカガミ警視、になって、そしてただの、カガミ。呼び名はどんどこ変わってったけど、いつだって、好きだったよカガミ。

夜は更けて窓の外、漆黒の空にはほそくほそく、折れそうな月が引っかかってる。

家族になろう

そう言えてたら、どんなに良かっただろう。

バレンタイン


ナカムラが待機する車に、カガミがドアを開け助手席に座った。
「あー警視、明日の捜査ですがね、…え?」
車を出そうとするナカムラの手を遮り、カガミがキーを戻した。
「えっ?何なに、なんなの?」
「もう、いいかげんにしませんか」
いつもの穏やかな口調と違うカガミに、ナカムラはわざとお道化た口をきく。
「ヤッホー?どったの警視?ずいぶん機嫌悪いじゃない」
「ナカムラさん、あと一日で人生が終わるとわかったら、何をします?」
「ええ~、いきなり何です?」
警視は係長の両肩を掴み、真正面から係長の顔を覗き込む。
「あと数時間で自分が死ぬと知ったら」
カガミはナカムラの座る運転席のシートを倒す。
「私は、今までずっとやりたくて我慢していたことを、します」
(えっ)
カガミの若く柔らかい唇がナカムラの口をふさぐ。
あまりのことに驚いて硬直し、身じろぎもせず、カガミのなすがままにされるナカムラ。
それをいいことに、カガミは口付けながらナカムラのネクタイを緩めシャツのボタンを性急に外していく。
そしてスラックスのベルトに手をかけたところでさすがにナカムラが顔を横にねじって怒鳴った。
「こら待てカガミッ!」
「待ちません」
「なっ!?良いから、ちょっとおれの上からどけ、おいっ」
「どきません」
頭にきてまた怒鳴ろうとしたナカムラは、カガミの顔を見て言葉をひっこめた。
カガミ警視が、もとの端正な顔をくしゃくしゃにして、体裁も構わず今にも泣きだしそうな表情をしている。
「お、おい?一体どうしたんだよ?」
「今朝、夢を見たんです」
「ゆめェ?」
トキコが、妹が死ぬ夢です。ナカムラさん、どうしよう、トキコは最後の肉親なのに、守れなくって、妹が死んだら俺は、もう生きていけない、トキコが居ない世界で生き続ける意味が見つからない、そう、俺も死にます、そして死ぬんだったら、もうこれ以上こらえる意味なんてない、ナカムラさん、俺は」
ナカムラは泣きながらわめき続ける上司を唖然として見上げた。
「お、おい落ち着けよ?夢の話だろ?いま現在、妹さんは生きてるんだろ?何でそんなに取り乱す必要があるんだよ?」
「あなたは、何もわかってない」
ベロベロの泣き顔から、急に真顔になったカガミが低い声で言った。
「私がどんな理想を掲げていても、唯ひとつ、私の妹が奪われたら、それだけで私の人生は終了を告げる。そのことに俺は、ようやく気付いたんですよ」
冷たく浸食する真実。
「思い残すことも、唯ひとつ、ナカムラさん、あなただけなんです」

カガミの人生に必要なのは妹だけ、そしてナカムラが居れば、世界はそれで完結する。
エンジンと共に暖房も切れていた車内は、どんどん寒気が増してゆく。

冷たい、冷たいバレンタイン。

針路


「ナカムラさん、刑事の仕事っておもしろいですか?」
「へ?」
いきなり顔の右横から問われて素っ頓狂な声が出た。
「ああなんだぁコバヤシ君かあ。なに急にどしたの?」
「学校で進路について考えて来いって言われてるんですよー。ぼく別に高校行きたいって思ってないし、このまま探偵事務所で助手やっていたいんですけど、アケチ先輩が高校行かなきゃ辞めさせるってー」
「へえー探偵さんもジョーシキあるじゃない、つっても不登校許可もらって名ばかり高校生のアケチ君から言われても説得力無いよねえ、あっそうだ、探偵さんと同じように入るだけ入って不登校しちゃえばいいじゃないの、許可もらってさぁ」
「おい、俺はこいつに不登校許可まで口利きしてやる気はないからな。見習い許可証融通してやっただけでも破格の待遇なんだぞ。それになナカムラ。いいのか、仮にも警視庁捜査一課の警部がそんなこと言ってて」
「あぁーははは、そーそー、高校は行っといた方がいいんじゃない?ハシバ君だって行くんでしょお?いいじゃん一緒に行っちゃいなよぉ、楽しそうじゃん」
「そりゃハシバ君はとっくに進路決まってますし僕もいっしょに行けたらいいかもって思いますけど、出席日数とか単位とか、そのためにわざわざ用意しなくちゃならないなんて、ひどく時間の無駄だと思いませんかー?僕今まで結構休んだり試験さぼっちゃったりしてましたから、高校行くとしたら今からあくせくして授業受けなきゃいけなくなるんですよ。」
「ふん、ずいぶん自信があるんだな。ハシバの志望校はかなり競争率激しいところじゃないか。今から猛勉強したって危ないんじゃないのか?」
「ええ、でもハシバ君、僕がその気なら自分の家庭教師つけてくれるって。十分間に合うって張り切ってますよ。だから大丈夫なんじゃないかなあ。」
「じゃあもう決まりじゃないの、高校行かなきゃ探偵の助手は続けられない、受験はハシバ君のサポートで安泰、行くしかないでしょ。なんでわたしに刑事の仕事がどうかなんて聞くの?」
「だってー、僕の探偵助手って身分なんてアケチ先輩の胸ひとつで消し飛んでしまうような不確かなものじゃないですか。それにナカムラさん見てると運動能力いまいちな僕にも刑事って勤まりそうな気もするし。そうだ、ぼく刑事になってナカムラさんと組みます!そしたら、連絡係としてこの事務所にも変わらず顔出し続けることができますよね?」
「いやいやー、コバヤシくーん、さすがにそれは刑事って仕事あまく見てないー?いちおう刑事になるのだってなかなか大変だし手間がかかるよー。いまどき中卒で警察官採用されるのも難しいなあ、高校や大学は出といた方がいいと思うよー?で、頭がいいなら第一種国家公務員試験うけてさ、カガミもそうだったなあ」
「おいお前ら、ここは進路相談室じゃないんだ。無駄話はもういい加減にして帰れ。」
「うーん……」
「はは、じゃあコバヤシ君一緒に出ようかぁ?送ってくよーほらほら」
「……はーい」

ばたん

「ふぅ」
「やっと静かになったか。あいつら全くここを何だと思ってるんだ。眠れやしない」
(あいつ、カガミの名前ふつうに出せるようになったな)

**

「ナカムラさん、ぼく警察官にはなりたいと思わないんです。だから刑事になるのはあきらめますね。」
「あっそー、さすが最近の子は切り替えが早いねえ。で、高校行くの?」
「今は行ってもいいかもって思うけど……多分同じところに通い続けるとじきに飽きると思います。だから、やっぱり行きません!」
あいかわらずひとを突き放すような清々しいほどの笑顔だなあ。あらら、ハシバ君も可哀想に。
「行った方がいいのにー。じゃ、どうする?」
「とりあえず、日本から出ます」
「へ?」
「どこにしようかなあ。どこがいいと思います?」
「いやいやいや」
もうこの子には驚かされてばっかりだね。
「いやぁ、俺はこの国から出たことないからねえ。……あのさ、なんで海外なの?」 
「わからない言葉話すところへ行って、ひとりになってみたいんです。日本語通じるところだと孤独になれませんから」
「はぁぁ、なるほど……?でも全然言葉が分からなくなってどうするの?」
「英語の単語をメモ帳に書いて、見せて何とかならないかなあ」
「ううーん……ならんと言うとこなんだろうけど、不思議と、君ならなんとかなっちゃうような気がしちゃうんだよねぇ。でもなあ、留学生として、って訳ではなさそうだけど……親御さんには相談した?」
「いいえ、相談しても困らせるだけだと思うんで黙ってます。最近は僕のこと諦めてるみたいで割と好きにさせてくれてるから、この事ももう後は保護者の許可が必要な部分だけになったら話そうかなーと思ってるんです」
「いやあ参ったねえーもうそこまで考えちゃってるの。だったらさあ、行先だって自分で考えちゃえば?」
「だって、自分で決めたら自然と無意識にぼくにとって有利なとこにしちゃいそうじゃないですかーそれじゃ、やっぱりつまらないですよ。かと言って、アケチさんはぜっっっっったいに助言なんてしてくれないだろうし、ハシバ君に聞けば財閥の影響力のあるところばかり勧めるだろうし、なので、ナカムラさんが決めてください!」
にっこり。天使のように悪魔のような笑顔だよねぇ、もう……やだよ、俺そんな責任を背負うのは。
「じゃあさぁ、地球儀くるくる回して、ついでに自分もくるくる回って、目をつぶってえい!と指さしたところに行くことにすればぁ?無作為で良いでしょ?」
「わぁ、それ面白そうですねぇ。僕やってみますね!ありがとうございますナカムラさん」と、またにっこり。
「ただし、」俺は言い継いだ。
「海の上指さしちゃったらアウト。それと、紛争地域以外の、日本国のパスポートで行けるとこ限定。そこ以外さしたら諦めるんだ、やり直しは無し。……いいね?」

 

「えい」
僕にしては律儀に、自分もくるくる回って地球儀を指差した。
この地球儀には陸地が高地低地とそれなりにリアルに隆起した処理を施されている。指先に凸面の感触があって、(やったぁ陸地だ!)とわかりゆっくり目をあけた。
「インドかー、ええと、ベナ…レス?」
聞いたことはあるなあ。渡航可能だよね。
行先が決まってよかった。あした先生に国際学生証とか頼めるかきこう。
でも僕、中学卒業してから渡航するつもりだし高校は入学しないから、国際青年証だよね?
「……あれ」
ここまで来て何だけど。
「僕、なんで孤独になりたいんだろう?」

**

「何言ってるんだよコバヤシ!」
あんのじょうハシバ君は怒った。
「ごめんね、ハシバ君にとっても大事な時期に、せっかく君が僕のためにいろいろ考えてくれたのに。」
「いや、それはいいけど…なんで海外に行かなきゃならないんだ?しかも、興味のある国があるわけじゃないのに、そんないい加減な方法で行先を決めるなんて!いくらコバヤシでも無鉄砲すぎるだろ?」
もっともなことばかりだよね。ハシバ君は、もっともなことしか言わない。
「ハシバ君は、お父さんの後を継ぐためにたくさん勉強する必要があるから高校行くんだよね。じゃあ、僕は何のために高校行くんだろう。中学までは義務教育だからしょうがないけど、高校は勉強続けたい人が行くんでしょ?僕、特に学校で勉強したいとは思わないんだ。でもすぐ働きたい職があるわけでもないし、だからさ」
「だから、なんで海外なんだよ。しかもインド?おまえ、英語だってそんなに得意じゃないだろ?言葉通じないところへ留学するのか?」
「留学じゃないんだよ。ビザとって長期滞在するんだ。それでねハシバ君、ベナレスってさ」
「コバヤシ、ただ旅行しに行くだけなのか?なら、学校の夏休みや試験休みを利用して行けばいいじゃないか。」
「んー、ほんとはインドだけじゃなくって、行く先々でビザとっていろんな国を渡り歩きたいんだー。まだ調べてないんだけどさ、未成年でも大丈夫かなあ?」
「大丈夫なわけないだろ、そんなに行きたいなら俺が未成年も参加できる安全なツアーを探してやるから、あんまり無茶ばかり言うなよ」

あ。

「コバヤシ?おい聞いてるのか?」
「……うん、ハシバ君ごめんね、よく考えてみるよ。ありがとう、じゃあね。」
「考えるんじゃなく、考え直せよー」

気づかわし気なハシバ君の声に、笑って手を振る。

ごめんね、ハシバ君。

 

ねぇ、何がいけなかったんだろうねハシバ君。

座席に座って、サービスされたオレンジジュースを飲んだところまでは憶えてるんだ。
そしたら、次に気付いたのはこんなコンクリートむき出しの冷たい床の上でさ。
飲んだ時、ちょっと苦いなあと感じたんだ。でもそのすぐ後たぶんぼくはもう気を失ってたんだと思う。
これはしまった、と思う。誘拐犯を追っておとりになったときとはわけが違うからね。
寒くはない。屋根も壁もある。きっと、空調もきいてるんだ。
ただ、固い床に転がされていたから少し体が痛い。
それに腕が自由にならない。ちょっと無理して後ろを覗いてみたら、何かのパイプに縛り付けられていたんだ。
持ち物も取り上げられたんだろうな。服はそのまま、ポッケのハンカチとかも残ってる。

ここは、どこなのかな。
目的地のベナレスは日本からの直行便は出ていない。まずバンコク、そこからデリー行きに乗って、今度はベナレス。2回乗り継いでやっと着く。
航空券、高かったのになあ。進学する気ないからって言って、高校進学した場合にかかるはずだった学費を、渡航費に充ててもらったんだ。
なのに、インドにすら着いてない。たぶんバンコク......。

あれ、また気を喪ってたみたいだ。
周りを見回したら、女の子がたくさんいた。目が覚めてる子、まだ眠っている子。
ああ、人身売買の組織だったのかな。
今度はうっかり眠らないようにしなくっちゃ。でも、薬のせいだとしたらいくら頑張っても無理だよね、困ったなあ。
あ、おなかすいたなあ。
ハシバ君やアケチ先輩、今ごろどんなご飯を食べてるかなあ。
高い天井近くにある小さな窓から漏れる光で、たぶんまだ昼間だという事は分かる。ご飯、くれるよね?見たところ、ぼくらは大事な商品だ。ケガさせたり飢え死にさせたりは、たぶんしないだろう。
あ!いいにおい!ご飯かな?

目のとこだけ開けて、顔をすっぽり布で覆ったひとがシチューのようなものを木のボウルに取り分けていく。
ああ、早く食べたい、食べたい。でも、腕の拘束を解いてくれるのかなあ。
あ、食べさせてくれるんだ......手慣れてるなあ。
ふう、なんておいしいシチューなんだろう。こぼさずに食べたい。でもやっぱり急かされるなあ。

ここに来てから何日経つんだろう。
上の窓から漏れる光でわかると思ったけど、なんだか頭がぼんやりして一日の始まりと終わりがよく分からない。
今日もご飯が楽しみだ。
もしかしたら、ご飯の時間を少しずつずらして時間の感覚を奪われているのかもしれない。
ああ、おなかが空いたなあ。
ここに来たたばかりの時は、まわりの女の子たち泣いてたり拘束をどうにか解こうとしたりしてたけど、今はもうすすり泣く声も聞こえない。ぼくと同じ様にぼんやりした感じ。
ハシバくんごめんね。心配してるよね。でもご飯がおいしいから、ぼくは大丈夫だよ。

あ、ご飯が来た。



今日も、と言っても日にちの感覚が無くなってしまったけれど、ご飯が待ちどおしい。

ここの床は冷たくて硬いけど、何度か取りかえられる良いにおいの敷物がふんわり柔らかで気持ちいい。拘束も肌にくい込むことはなく、たまに向きを変えてはめ直してくれるので体もそんなに辛くならない。トイレや体の洗浄も、自然な欲求が出る前にひとりずつドアの向こうの施設へ連れ出される。最初は怖がって暴れていた子達も、今は素直におとなしく連れてかれる。最初この場を満たしてた恐れや怒りや焦りの感情も今は消滅して、とても穏やかな空気だ。

あ、ご飯が来た。

いつも通りに、スプーンですくって口に運んでもらう。……ああ、おいしい……。

ふた匙めを呑み込んでちょっと下を向いた時、髪の毛が頰をすべり、かすめた。

(え?)

ぼくの髪、こんなに伸びてる?

気がつけば、前髪もそうとううっとおしい。髪の毛の伸びる速さってどのくらいだっけ。ぼくはわりと早い方だって美容師さんに言われるけど、これたぶん切りたての時より5センチは伸びてる。人間の髪って1ヶ月に1センチ伸びるって聞いた様な気がする。飛行機に乗ってから、5ヶ月は経ってるって事か。

……そんなに?

驚いたせいか、少しずつぼんやりしてた頭の霧が晴れて来た。そして、自分の状態がおかしいこともわかって来た。

たぶん、食べものに何か混ぜられてるんだ。そしてこの敷物の匂い。たぶんこの二つのせいで、ぼくたちはぼんやりさせられ、逃げる気もなくしてる。もしかしたら常習性のある成分も含まれているかもしれない。

だめだ、ここを出ないと。でも、どうやって?

とりあえず、頭をはっきりさせようと、敷物から少しずつ離れていくようにする。食べ物も、眠いフリをして食べる量を少なく。すでに数か月経っているなら、見張る側もすっかり従順になった僕らにだいぶ警戒心が薄らいできてる筈だ。今この時、ぼくの頭に理性の光が差したのは、 幸運だったのかもしれない。

ぼくがトイレに連れ出される時間になったらしい。腕を引かれ、 向かいのドアを通って。用を足すときは個室でひとりになれる。体を洗う時もそうだ。でも抜け出せるような窓は無いし、通路にも見張りはやっぱりいて逃げ出せる余地はなさそう。ぼくは特別足が速いわけでもないし、追手の目をくらませるような機転が利くタイプでもない、もちろん腕力も強くない。どうしよう......どうしようもない。

 

今日もご飯の時間が来たようだ。

僕は眠いふりをしながらひとさじをゆっくり口に含む。そして、もうひと口。「……ン、あ?」

「ぐうッッッ......!」

ぼくは胸をおさえて転げまわる。

涙とよだれが止まらない。と、他の女の子たちも苦しみ始めた。一気にその場がうめき声で満ちる。給仕の男たちも手のつけようがないほどに。ばたばたと入ってきたのと同じドアへ駈け込んでいく。医者を呼んでくるんだろうと思ったけど、しばらくして担架が運び込まれ、ぼくも含めてこの場に居る子たちを連れ出していく。ああ、集団食中毒だからいったん医療設備のある場所へ隔離するんだ。担架が外へ出たとき、

 

「NOW!!」

 

顔中を口にして腹の底から、ぼくは叫んだ。

途端に起き上がり、てんでばらばらの方角へ力の限り走り出すぼくら。手枷ははめられているけれど、連れ出す際につなぎ留められていたパイプはもう無い。それこそ蜘蛛の子を散らすように逃げるぼくらを、虚をつかれた彼らは全て捕らえることはできないだろう。不運な子はいるかもしれない、でも僕らが逃げれば外へ助けを求めることができる、いやもしかしたらこの国の警察も信用できないかもしれない、でも、今はとにかく。

力の限り走った。景色が歪んで見えてグラグラする、でももう捕まるわけにはいかない。ぼくはここでは終わらない。

必死に走っているぼくの目に、「KOBAN」の文字が飛び込んできた。え、交番?でも考えるヒマもなく、ぼくはその小屋の入口に飛び込み、そしてそこで意識が途切れた。

 

逃げ込んだKOBANの警察官はぼくを守ってくれた。連中はここまで僕を追ってきたのだけど、そして自分達こそがぼくの保護者であると主張したらしいのだけど、警官は気を喪ったぼくをそのまま連中に引き渡そうとはしなかった。助かった。警察も、まだ捨てたもんじゃないよね。

つぎに目を開けたとき最初に見たのは、ぼくを覗き込む大きな柘榴石色の瞳だった。
彼女はまっかなくちびるをニィとひきあげ弧を描くと、首を横にかしげる。途端に雪崩落ちるゆたかな黒い髪。ぼくは見惚れてちょっとした既視感を味わった。
ぼくがまだぼうっとしているのを見て、彼女は笑顔のまま取り出したタブレットをぼくへ手渡す。
「何やってんだよおまえは!」
「あ、ハシバ君」
「あ、じゃないよ心配したんだぞもう何日行方をくらましてたんだよどんなにオレが探し回ったと思ってんだよ」
「うん、ごめんね」
「現地の連絡員からお前の姿を確認できないって報告が入ったときオレがどれほど動転したか、」
「うん」
「ハッ、そうだどこかケガはないのか?なにかひどい事されてないか?」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
「そ、そうか」
「実はまだちょっとぼんやりしてるけど」
「なんだって?お、おい大丈夫じゃないじゃないか」
「少しは落ち着けハシバ」
「でっでもアケチさん」
「よぉ、随分久しぶりじゃないか少年」
「こんにちは、アケチ先輩」
「どうだ、旅立っていきなりのハプニングの味は」
「ふふ、そうですね。退屈じゃないです」
「コバヤシ、馬鹿言ってないで戻って来いよ!オレがそこへ迎えに行くから、また危ない目に合う前に一緒に帰ろう!」
「ありがとうハシバ君、でもぼくまだ本来の目的地にすら着いてないから、ここから飛行機に乗り継いで行きたいんだ」
画面のハシバ君は口をぱくぱくさせて何も言わなくなってしまった。
「おい少年、ほんとに戻る気はないんだな」
「ええ、でも旅を続けられたらの話ですけど」
「いやいやいやちょっと何言ってんの探偵さん、ダメに決まってるっしょ?」
「あ、ナカムラさんもお久しぶりです」
「やぁコバヤシ君、髪のびたねー。ね、ハシバ君このままだと呼吸困難で死んじゃいそうだし戻ってきてあげたら?そしてまた仕切りなおして再出発したらいいじゃない」
「そうですねえ。でも、せっかく途中まで来たんだからもったいないですよ。ぼくもう時間を無駄にしたくないですし」
ハシバ君の横で、ナカムラさんも苦笑したまま黙ってしまった。
「少年、横の女に代われ」
アケチ先輩が言うと、いつの間にか僕のベッドのわきに腰かけていた黒髪のひとが、ぼくからタブレットをひょいと奪う。そしてしばらく、聞き取れない小声の早口で会話したかと思うと、またすぐぼくにタブレットを返した。
「少年のビザは期日更新された。それからな、機関に都度報告をすれば今後の旅費の心配はないそうだ。......のるか?」
願ったりかなったりの申し出にぼくは勢い込んでYES!と答える。
すると、黒髪のひとがぼくの背をバンと叩いて右手を差し出した。
「しばらくの間、機関との契約により私があなたの教育係として同行する。よろしく、コバヤシ少年」
「でもぼく、ひとりになるために日本を出たんですよ。機関へはちゃんと言われた番号へ定期連絡しますから、ひとりで行っちゃだめですか?」
「私の教育係という役割上、それは無理だ。でも、訓練以外の時なら極力ひとりにしてあげよう。大丈夫、問題ない」
「えー」

そんなわけで、不本意な形だけれど何とかぼくは旅を続行することになった。そして、
「ぼくもこのまま髪をのばしてみようかなあ」
目の前の人を見ながら、なんとなくそう思った。

眼鏡

サザンテラスでの一件がひと段落ついて、カガミが漸くおれの話にぽつぽつと返事をするようになってきた頃、収監されて以来初めて、カガミの方から突然切り出した。
「ナカムラさん、あの」
「ん、何?」おれはちょっとびっくりして、でも努めて顔に出ないようにしながら返す。
「その...こんな事をお願いできた義理ではないのですが」
「今さらなに遠慮してんの、言ってごらんよ」
「俺の部屋から、俺の眼鏡を持ってきてはいただけないでしょうか?」
「へ?メガネ?」
「はい」
「カガミって眼鏡かけてたっけ?」
言いながらいやそんなはずはないよな、かけてるとこ見たことないしなーと思う。
「いえ。でも俺コンタクトレンズ入れてたんです」
「へええ、そうだったんだ!いやぁ気付かなかったなー近眼?」
「はい、両眼コンマ1も無いです」
「うっわーずいぶん悪いんだ!ふふ、勉強のし過ぎじゃないの?」
「いや、そんな。小学生までは良かったんですが、中学に上がってから急にみるみる悪くなって」
「じゃ、中学生時代はメガネっ子だったのかな?」
「あ、そうですね。ずっと眼鏡だったのですが、大学受験の頃にはもう悪すぎて、眼鏡では視力がうまく調整できないと言われ、コンタクトレンズを勧められたんです」
「えっ、じゃあ眼鏡持ってきても度が合わなくなってるんじゃ」
「ええ、でもそこそこ見えるので、寝る前とかは使っていました」
「なるほどねえ…あっ、いまどうしてんの?レンズ入れてんの?」
「いえ、俺のは2週間交換タイプだったので…」
「あっりゃー、じゃあすごい不便じゃない!眼鏡よりコンタクトレンズ持ってこなきゃ。あ、もう切らしてるのか。どこのメーカー?買ってきてやるよ」
「俺は眼鏡でいいです」
「どうして?コンタクトの方がよく見えるでしょーおまえ読書好きだって言ってたもんな、読みたい本も言えば持ってきてやるからさ」
「ナカムラさん、俺は今、俺が生活するためだけに、使い捨てや消耗品が必要な道具を持ち続ける事に酷く抵抗があるんです。できるだけ簡素な、物を消費しない方法をとりたいんです。とはいえ、目が見えなくては何もできない。ですので、眼鏡を持ってきていただきたいと思って」
「なるほどねぇ...え、ちょっと待って、収監されてから結構な日にちが経ってるよね?よく見えないままガマンしてたの?ずーっと?」
「はい。でも仕方ないです」
「は」
「今も、こんなことお願いすべきでは無かったかもしれないと後悔し始めています。俺のためにほかのだれかを煩わせるなんて、それも、ナカムラさんに頼むなんて。あれほどひどい裏切りと迷惑を重ねておきながら、この上頼みごとをするなんて、俺は」
「ハーイハイハイ、ストップストーップ!」
「え」
「……カガミ、いいか、ふさわしくないとか煩わせるとか迷惑とか、今後禁止な」
「え、でも」
「とりあえずいいよ、おれのわがままってことで良いからさ、そっちの方へぐいぐい考えるの止めようよ。すぐには難しいかもしれないけど、おれが面会に来ている間だけでもさ……ね?」
「わかりました。……すみません」
「明日にでも、カガミの眼鏡持ってくるねー。いやあ楽しみだねぇカガミのメガネ姿」
「いや、楽しみにされても」
「だってさ、おれ、おまえの事よく知ってるつもりでいたけど、実は知らない事すごーく多かったんだよなあ。これからどんどん教えてよ。いっぱい、カガミのこと話してよ」
「はい、でもあまりナカムラさんの時間を俺のために食い潰させては」
「約束だよ」
「……はい」



 

「や、また来たよー」
入って来たナカムラが腕を組んだまま頭を傾ける。
「すみません、いつも気にかけていただいて」
「 いっやーおれの方こそ度々呼び出してごめんな。カガミが地下にいると思うとついつい足が向いちゃうんだよねえ」
すっかり面会室にも馴染んだ態で、ナカムラは丸椅子に腰掛ける。
「ああ、そうそうこれこれ」
腕組みをほどき、持っていたケースを差し出した。
「あ、ありがとうございます。すみません探していただいて。すぐ見つかりましたか?」
「うん、カガミの部屋のベッド脇においてあったよ。でもそれでホントに大丈夫?」
「ええ、日常生活に支障がない程度には見えます。正直とても助かりました」
「でもなー合わない眼鏡かけてると度が進むっていうしなー」
「心配していただいて、ありがとうございます。でも以前から寝る前などはこれ使っていたので、あまり問題ないかと」
「そうかあ。でもあんばい悪かったら言いなよ?」
「はい」

***

「こんちはーカガミ」
「こんにちは、ナカムラさん」
いつものように、いつもの場所で二人は話し始める。
「あのさー、これ良かったら使ってもらえるかなあ」
ナカムラはアクリル板と鉄格子の向こうから、細長い箱を振ってみせる。
「?何です」
「えっとねー、眼鏡なんだー」
「俺に、ですか?」
「うん…勝手に悪かったけどさ、おまえの部屋で洗面所の棚にレンズケースと一緒に眼医者の処方箋があったもんで、そこ行ってね。最近じゃ眼鏡も進化して度も随分出せるみたいだし、一番新しいデータを聞いて作ってもらっちゃったんだー」
「ナカムラさん、俺に気遣いは要らないと」
「同じデータでコンタクトレンズにしようかな、とも思ったけどさ、割と色々入り用みたいだし、目に直接入れるものだから、衛生面で差し入れ通るかちょっと怪しいしね」
「ナカムラさん、もう俺を放っておいてください。あなたの貴重な時間はもっと別のことに振り向けるべきだと思います」
「まぁまぁ、そんなつれない事ばかり言いなさんな。差し入れ手続きしとくから受け取って、使い勝手見ておいてよね」

***

「おっはよー。さすがに冷えるねえ、体調崩してない?」
「おはようございます。ええ、むしろ以前より
健康な気がします」
ナカムラはニッと笑い顔を作ると、嬉しそうにカガミを見た。
「どう、新しい眼鏡の掛け心地は?」
「はい、おかげさまで大変よく見えて助かっています。作業所では細かな仕事も割とよくあるので」
「そっかあー、良かったあ」
ナカムラはどことなくウキウキとした感じで、内ポケットから取り出したものをかけた。
「じゃーん」
「え、ナカムラさん、それは……」
「ふふー、おれもメガネ作っちゃったー」
「ナカムラさんも目が?」
「あー、これね……老眼鏡なんだよね〜」
カガミは一瞬絶句する。
「おれもさあ、四十過ぎて遂に来ちゃったみたいなんだよ。しばらく意地張って我慢してたけど仕事に支障出ちゃあ仕方ないよねえ。でもさ、カガミの顔がぼやけて見えるのも嫌だし、カガミの眼鏡作るついでに自分のも作ってもらっちゃった」
「ええと……でも、その眼鏡ナカムラさんに似合いますね」
「またまた〜、ムリに褒めなくていいのよ〜?」
眼鏡を下にずらし上目遣いにナカムラはカガミを見て笑った。
「いえ。俺も、ナカムラさんの顔をはっきり見ることができて、それがいちばん嬉しいです」
「そっかぁ。……ふふ、おそろいだね」
「そうですね」
カガミも少し微笑んで言った。

「ありがとうございます。ナカムラさん」
「うん」

「メリークリスマス、カガミ。」

あとかた


「おい、あいつどこ行ったんだ?」

見回して言う男の目には、がらんどうの部屋しか見えなかった。いや何もなかったわけではない、それなりに家具類はあって窓には地味だがカーテンもかかっている。食器も調理器具も数少ないがしかるべき家具におさまっている。ただ、生活臭が無いのだ。

「あいつってさ、結構多趣味だったよなあ?サーフィンとか」

「そうそう、ビリヤードとか、ウクレレもそういえば好きだって言ってたねえ」

洋服ダンスの引き出しをあらためながらもうひとりが応答する。

「……下着や靴下、Tシャツにワイシャツっと、ウクレレ好きならアロハとか持ってるのかなあって思ったけど、 派手目なものはおろか、柄物は何にも無いねえ」

「なぁ、ここ本当にあいつの部屋なのか?」

「そのはずでしょー。でもこの部屋入ったことあるやつなんていなかったろうしホントにここに寝起きしてたかって証拠も無いけど、まあここ以外手がかりないしね。あいつ身内も無いもんね」

「そうかぁ、この部屋に入った奴がいるとすればカガミくらいだったろうし」

「もういない奴の話 してもしょうがないだろう。何も痕跡を残さず周到に出てったんだなあ」

「そもそもさあ」

かつて彼らの同僚だった男は言った。

 
「ナカムラって、サーフィンなんてホントにしてたの?」

 

「だってあいつがボード持ってる姿や写真なんて見たことないしさ、他の奴が見たって話も聞かないし。俺もそうだしお前も聞いたことないよな。大体あいつ外でカガミ以外とつるんだりしてないだろ」

「まあ、そういやなぁーいつも人当たり良さそうにしてるし飲み会とかにも顔出すし、付き合い良さげにしてたけど、それ以外でつるんでたやついなかったようなー」

「へらへらしてるようで仕事はきっちりこなす、後輩の面倒見もいいしで、部長も文句つけようなかったよなあ、極端な猫背とヨレッとした格好以外は。でもちょっと油断ならないとこはあったな、たまにゾッとする目つきしてたし」

「それがさ、おれナカムラが昔いた部署の奴に聞いたことあんだよ。あいつ、内部規定違反についてもめて、派手な暴力沙汰起こして降格か免職かって羽目に陥りそうなことがあったって」

「なんだそりゃ」

「なんでも、捜査活動に行き過ぎがあったらしいよ。でも結局お咎めなし。どうも上司の弱みを握ってたらしいぞって言ってた」

「へえええ、あのナカムラがねえ。でもそんな問題児がよくこの署の捜査一課に配属されたもんだな」

「むしろ問題なのは上司で、暴いたあいつはそれだけ優秀だったって事だろ。どのみちあの外見からはあんまり想像できないけどさぁ」

「はー。俺たちもあいつと付き合い長いけど、たいして分かっちゃいないもんなんだなあ」

「そりゃそうさ、俺だっておまえの事はよく分からんし」

「ええ、そりゃないよ~、でも言われてみりゃ俺もおまえの事、いつも昼飯に裏の好々軒でラーメン食ってるってことくらいしか知らないよな」

「でさ、ナカムラってほんとに二十面相とは関係ないのかな」

「ああ、当時上の連中は共犯じゃないのかって疑ってたみたいだしな。俺はまさかと思ってたけど、今となってはその可能性も踏まえといた方がいいのかもしれんな……」

 

カガミ元警視の刑が執行された翌日、ナカムラ警部が姿を消した。警察は行方を追っているが一向に成果はあがっていない。

 



「ここ見たか?」

部屋の中をあらかた検分した後、台所にぽつんと置かれた冷蔵庫を指さした。
「ああーそういえばまだだったな」
ひとり暮らしの男の部屋にしては少し不似合な大きさの白物家電が、狭い台所に幅をきかせていた。今まで気付かなかったが通電しているらしき作動音がホワイトノイズのように空間を満たしている。
「……よし」
何故か若干緊張して、その白いとびらをガコンと開く。

ごとり

「……おい」
「あ、ああ。こいつは……」

床の上に転がり出たのは、ナカムラ本人だった。
庫内から流れ出る冷気とはまた別種の、室内の空気を一変させる「幽気」ともいうような流れが場を満たす。
二人は出てきたモノを凝視しながら恐る恐る上から屈みこむ。
ナカムラは膝を折り曲げ俯いて、胎児のような姿で倒れていた。
「なんだ?何で冷蔵庫の中なんかに」
「暑いから入ってみたんじゃねえの。そんで扉が閉まって中から自力で開けられなくなってさ」
「まっさか、小さな子供じゃあるまいしよ」
「お?何か、抱えてるぞ」
「お、おい気を付けろ」
「ばぁか、死んでるに決まってるじゃねえか」
ごろりと転がすと、中年の胎児は茶色の瓶を抱えていた。見たところビールの中瓶のようだ。
「栓がしてある。未開封か」
「いやまて、中身は液体じゃない……」
言い終わるか終わらないうちに、瓶の栓がポロリと落ちた。とたんに、強い刺激臭が鼻を衝く。
「まずい、退避ィー!」
口と鼻を覆ってバタバタと部屋からかけ出た二人が一気に走り抜けたアパートの廊下を振り返った時、開け放された扉からボンッという音と共に黒煙と火の手が上がるのが見えた。

もうもうとした煙と天井まで舐める炎の裏で、ふらりと立ち上がるものがあった。
「ふへえ、ようやく開けてくれたかあ。ちょっとやばかったなあ」
そして、瓶の中から気体をすべて出し切ると懐から溶剤の入った袋を取り出し移し替え、傍の手ぬぐいを瓶の口に詰める。燃え続ける炎に瓶を投げ込み、ベランダの窓から直下の植え込みへ音も無く飛び降りた。
見上げた窓から爆発音といっそうの火炎が噴き出したのを見やり、
無言で服に着いた枝葉を払い落とす。

ニャア

植え込みのそばでひと声、猫が鳴いた。
「腹減ったか?ごめんな」
猫を抱きかかえ、ナカムラはふらりその場を立ち去って行った。




後日譚


「あの爆発には肝が冷えたな」

ナカムラが自室の冷蔵庫から発見され、直後に部屋が炎上した事件の数日後、二人は再び検分に焼け焦げた部屋に入った。

「あーあ、見る影もないねえ」

「やはりナカムラの死体は発見されなかったそうだな」

先日、ナカムラの体が転がり出た辺りを見下ろしながら彼は言った。

「まさか、あの状態から何処かへ移動したとは考えにくいが……奴の痕跡が何もない、というのも腑に落ちんな」

「いや、炎で焼けてあとは爆風で四散したんじゃないのか?こんな現場のあり様じゃ見つけるのは無理だろう」

「いや、」

と言いさして、かつての同僚は口をつぐむ。

こんな茶番を打って何処へ逃げようというんだ。何を企んでいるんだ?

あいつがカガミに望みをかけていたのは誰の目にも明らかだった。その入れ込みようは傍目に異様なほどで、だが周囲の人間は、それだけ後輩であり上司であるエリート警視に期待していたのだろう、位に考えていた。

しかし、彼にはナカムラの目が気になっていた。
猫背で頭を低くしながら上目遣いで相手の顔を見上げるその仕草は、別にカガミに対してのみ向けられていたわけではない。
だが、あの目の光は尋常ではなかった。無造作に垂れ下がった前髪の奥で、不釣り合いに大きな目が、カガミを見る時だけは。すがるような、試すような、崇めるような、蔑むような、誘うような、蹂躙するような。

「……やはり、あのまま遺体は焼失したんだろうか」
「?そりゃそうだろう、どうした、随分こだわってるようじゃないか」
「いや、別にどうという事ではないんだが」

あそこまで入れ込んでいる相手が犯罪者となり死刑執行されたら、自分だけ生き延びることにそこまで執着するだろうか?
もういい、と思うのではないか?

ならばやはり、これ以上あいつを探し続けるのは無駄だろう。
万が一逃げたとしても、あとは死に場所を探すくらいだろう。

「帰るか」
「ああ、戻って報告書まとめて終わりだな」

視界の隅に高熱でひしゃげた眼鏡のフレームのようなものがかすめる。
あんなものは、あの日この部屋からは出てこなかったはずだが。
だが、

「もう、いいさ」

つぶやきに頭をかしげる相棒と共に、彼らはまだ若干熱のこもった部屋を去っていった。

「や、こんばんは」
 
「ナカムラさん?なぜここに?」
「警視こそ、おうちに帰らずなぜここに?」
「すみませんナカムラさん、私はこれから用があるので」
「つれないなあ、一緒に行こうよ」
「だめです」
「どうして?」
「どうしてもです」
「おれのいうこと何でも聞いてくれてたのに」
「今はだめです」
「なぜ?」
「なぜでもです」
「さみしいなあ」
「聞き分けてください」
「やだよ」
「なぜ」
「なぜでも」
「どうどうめぐりですね」
「そうだね」
「すみません、時間がないんです」
「おれと話す時間もないの?」
「もう行きます」
「ねえカガミ」
「すみません」
「だめだよ」
「さようなら」
「 だ め 」

何で そんな こと い う  の


***

それきりカガミは口を利けなくなった。
発声発語の中枢が破壊されたためらしい。
意思疎通するときはキーボードをたたいてモニタに出して話す。
「おはよう、カガミ」
『おはようございます、ナカムラさん』
キーボード叩いてまで敬語なんて使わなくていいのに。
「カガミは、律儀だね」笑って言うと
『性分ですから』と返す。
けど、もうあの張り詰めたような声は聞こえない。
「ごめんね、途中で止めさせて」
『いえ、止めてくださってありがとうございます』
『ナカムラさんが私を一緒に連れて来てくれて嬉しい』

***

いいんだ アッチの世界はアッチに残った奴らが何とかするだろ。
生命維持装置に繋がれた芋虫は放っておけば腐り果てるし
断罪未遂の不届き者も、別の20面相がどうにかするだろう。
探偵さんは新しい連絡係を雇えば良いし

***

カガミは、口が利けない。おれが殴ったせいだ。
やがて、目が見えなくなった。
嗅覚はだいぶ前から。
そしてきょうは、耳が聞こえなくなっていた。

すらりと伸びた腕も脚も、程よく引き締まった若い軀も
ときどきおれに触れていたしなやかな指も

いつかどこかに溶けて消えて。

 

***

 

ka ga mi ,

タイプしておれは話す。
「カガミ、其処にいるのかい?」
『はい、此処にいます』
それだけなのに、なんて幸せなんだろう。

 

***

 

あ、おれの部屋に居ついてた猫、どうしてるかなあ。
 

協力要請


「なんで睡眠薬と頭痛薬ひっきりなしに飲むの?体に良くないよー成長期なのに」
「何だいきなり」
「わざわざ海外から取り寄せてんでしょ。飲み方だってさ、いっつも噛み砕いちゃって、しかも缶コーヒーなんかで流しこんでー。飲み合わせとかさ、よくないんじゃない?」
「国内の薬は全く効かないからな。コレは機関直属の医師が処方したものだ、苦情は機関に言うんだな」
「まあ、お医者さんが指定した薬ならいいんだろうけどねえ、でも飲み方がねえー。カガミだってさ、以前心配してわたしにまで相談したりしてたんだよ」
「わざわざ俺の薬の飲み方をいさめに来たわけじゃないだろ、用があるならさっさと言え」

―これで、話す事は全てです。さあ、私を極刑に―

「…ね、あいつホントに全てを話したと思う?」
「さあな。お前はどう思うんだ」
「わたしゃね、あいつがあんなに手際よくやったってのがどうにも腑に落ちないんだよ。あいつってさ、勤勉だけどずいぶん不器用じゃない?」
「まあな、この事務所に来るときもよくあちこちの家具に足をぶつけたりけ躓いたりしてたしな」
「でっしょー!?G街歩いてる時もさ、すぐ絡まれて困ったりムキになったり、私がフォローすること結構あったんだよ。そんな奴がさ、予告までしてさ、相手に気取られずに近づいてあんなこった殺し方15件もやってのけたなんてねえ」
「だがな、あいつは時間かけてきっちり取り調べを受けたんだろ。あんたじゃあ手加減する可能性があるからって他の奴が担当したりしてたよな」
「さすが、よく知ってるねえ…まあ、仕方ないけどね。カガミと一緒に行動してた時間が長かったわたしは、疑いの目で見られてたくらいだし」
「それでもまだ疑う余地があるっていうのか」
「……んー、刑事のカン、ってやつ?」
「非論理的だな」
「そう言わないでさ、ちょっと考えてみてくれないかなあ。アケチ君だって3年もいっしょに仕事してたじゃない、あいつと。しかも事件の間だって15人殺害するまで見抜けなかったんでしょ?あららー、宮付き探偵の面目丸つぶれじゃないの」
「挑発してるつもりか?帰れ」
「それだけじゃないよぉ。アケチ君、原初二十面相の...ナミコシ君の行方が未だ分かってないでしょ?」
「だからなんだ」
「だからさ、現二十面相カガミに協力した勢力を探していれば、ナミコシ君の気配も漂ってくるかもしれないよ?ミナミ検死官も死んじゃって、今はカガミの自供にしか頼れない状態だけどさ、原初の一味が、カガミの犯行もナミコシ君の失踪にもかかわってたって線、わたしはどうしても捨てきれないんだよー協力してよ、探偵さん」

「ナカムラ、お前なんでいつも腹抱えてるんだ」
「……へ?何言ってんの唐突だなぁ、関係ないじゃない」
「言ったら協力してやる」
「んー弱ったなあーそれバラしちゃったら、わたしのミステリアスな魅力が半減しちゃわない?」
「何がミステリアスだ、胡散臭いの間違いだろ。だいたい警察の正式な依頼でもない事に協力させようって言うんだ、それくらい明かしたっておつりがくるくらいだぞ」
「わかったよ、べつに秘密ってわけでもないけどねー。前の職場でさ、発射されたガス筒が腹に当たって内臓破裂寸前になった事があったんだよ。それ以来腹かばう癖がついちゃって。そう、ただのクセだよクセ」
「以前お前は、上層部と議員の癒着を告発しようとして証拠不十分って事でうやむやにされていたろ。通常水平撃ちされることがないガス筒がお前の腹に当たったのはそれと無関係じゃ無いだろうな。しかもその事故前日には」
アケチはつかつかとナカムラに歩み寄り、こぶしをナカムラの腹にあてた。一瞬、ナカムラが息をのむ。
「すでに、相当ここに暴行を受けていただろ。事故はむしろその痕を隠すためだったんじゃないのか」
「……やっだなあ。どこで聞いたか知らないけど探偵さんもそんなウワサ?、鵜呑みにするんだねえ。んなこと無いですって」
へらへら笑って頭を振る。

「で、どう?」
「いいだろう、オレもあいつ自身がここへ来るまで気付かなかった訳だからな。協力してやる」
「助かるよー探偵さん。じゃ、よろしくねー」

ひらひら手を振り事務所の扉を閉じる。手すりに背を預け、取り出した一本に火を点け深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。闇の中で赤い光が明滅する。

「久しぶりだから、効くなぁ」

しばらく頭上の月を眺めた後、まだ長さが残る吸いさしを自販機前の灰皿に押し付けた。
おんぼろビルの照明は、だいぶ前から切れたまま。
響く自分の足音を聞きながら、ナカムラは真っ暗な階段を降りて行った。

現二十面相逮捕直前


「ナカムラ、お前も来るか?」
探偵さんはそう言っておれに目を向ける。
「いっやあ、おれが動いて、万一あいつに気付かれでもしたらマズイっしょ。それにさ、ヘタすりゃおれだって怪しまれる立場だもんね共犯として。仕事でこれだけつるんでたんだから疑われても無理ないしさ、状況スッキリさせるためにおれは置いてった方が良い。……それとね」
「なんだ」
うずきだした両の腕を抱え込みながら、おれはなんとか探偵さんの顔を見て言い継いだ。
「お願いがあるんだけどね。確保するまでの間、おれはこの取調室にこもってるからさ、外から鍵かけて君が選んだ見張りを1人立てといてほしいんだよ。おれが、誰とも接触できないように」
「……そうか。わかった」
「良かった、ありがとね」
「フン」
と素っ気なく返して、彼はすたすたと出て行く。

バタン

扉が閉ざされ、施錠の音が聞こえた。
両肘をついて俯く。なじみ深い机の表面に、幽霊のような自分の顔が映ってる。
あぁそういえば、おれはもともと幽霊みたいなもんだったな。

カガミと会ってから、ずっと忘れていたけど。

喪失


「警視そこ危ないですよ、…って、ああ〜」

ナカムラが指摘した直後、かしいだ棚の書類は雪崩のようにカガミの頭上から降り注ぐ。
「大丈夫ですかぁ警視?」
「は、はい。少し驚きました」
床に尻もちをつき、ふるふる頭を振りながら返事をするカガミ。そこへひらり舞い落ちた一葉の紙。キャッチしてみると、それはかの人間椅子、あの教師自身が「作品」にされた写真だった。
ナカムラがひょいと覗き込む。
「おや、こないだの資料がこんなとこに?」
手にした写真を、カガミはじっと眺めて動かない。
「ああ、警視この写真苦手でしたね、わたしがしまっときましょう」
「得意な人などいませんよ…すみません、ここは私が片づけますから先に戻っていてください」
「あぁ失礼しました、カガミ警視」

***

切断された人体は、あの時が初めてではなかった。だが人間椅子の製作工程については、検屍官のミナミがとりわけ懇切丁寧に教示してくれたし、その後も私は彼女の熱心な生徒であり続けた。そして後日、私自身が実行する際にその成果が表れることとなる。

今にして思えば、かの人間椅子事件の時から、私の今ある姿は予定されていたのかもしれない。

***

「……やっぱり、手伝いましょう」

ハッと気が付くと、ナカムラの顔が目の前にあった。
「え……手伝うって、何を」
「何をって、散らばった書類を元に戻すんですけど。……おい、やっぱお前しばらく休め。持ってる仕事は、おれが何とかすっから」
ナカムラはぞんざいな口調に戻ってカガミの前髪をかき上げ掴み、目を覗き込んで言った。
「とにかく今日は、このまま帰れ。でないと手錠かけてパトカー押し込んででも送ってくぞ」


ナカムラさん、あなたは、毎日私が何をしているのかご存知ですか。


「……わかりました」
ゆらゆらと、私は忌まわしい自宅への帰り支度を始めた。
さっき、私は何を期待したのだろう。ナカムラさんが何を手伝ってくれると思ったというのだ。

すみませんナカムラさん。
私はもう、法で正義を守れるなどと信じてはいません。私は、あなたの背中を追い続けていた自分を、もう見失ってしまったのです。