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zencro’s diary

乱歩奇譚SSと雑記

6月のおもいで 続

「ふぁー今朝も眠いねえ」
いつものように布団の温みを名残惜しく思いつつナカムラが伸びをする。窓の方を見ると既に開いているカーテンから光はまだ漏れていない。
「あらー、今日はおてんとさんも寝坊かな」そんな事をまだ目ざめきらぬ頭でぼんやり考えていると、玄関のドアが開く音がした。
「あ、起きてらっしゃいましたかナカムラさん」
「おーカガミおはよ、また走ってきたの?まいんちえらいねえ」
「いえ、習慣ですから。すみません、すぐ支度します」
「ああ、いいよいいよ、先にシャワー浴びといで。」

カガミが出所して、ひと月が経とうとしていた。身を寄せるあてのないカガミを、ナカムラが当然のように自宅に呼んで以来、窮屈ながらも割と愉快に共同生活を送っている。
当初カガミはナカムラに気遣って同じ時間帯に寝起きしていたが、やがて、収監前までは毎朝続けていた早朝ジョギングを再開するようになっていた。
そして、朝食を作るのもカガミの役割だ。不器用ながらも生来の生真面目さでのぞみ、着実に手際も良くなってきている。

「お、納豆にオクラが入ってる。これ美味いよねー」
「旬なので刻んで入れてみました。ナカムラさんも好きならよかったです」
「うん、ネバネバは体に良いしねえ。味噌汁も塩梅良いなあ、カガミ腕上げたね」
「ありがとうございます、ようやくダシを入れるのを忘れないようになってきました」
「おっと、ちょいとゆっくりしすぎちゃったかな、ごちそうさん
「はい、行ってらっしゃいナカムラさん。……あ、そうだ。これから降りそうな感じでしたから、傘忘れずに持っていってください」
「はいよーありがとな、カガミ」

ナカムラが出かけるのを見送り、部屋に戻ったカガミが食器を片付けようとすると、ちゃぶ台の上にナカムラの携帯が置きっぱなしになっているのに気がついた。
「まずい!追っかけないと」
ひっつかんで出ようとした矢先、携帯が鳴った。
「はい、ナカムラさん?」
「ああカガミ、よかったー」ナカムラがホッとした声で応答する。
「いまどちらですか、これから追いかけようとしたところです」
「ああ、いいよー、近いしいったん戻るよ。じゃ」
ガチャン
「うーん、ほんとはこっちから持ってった方が時間のロスも少なくて良いんだが…仕方ない、待つか」
カガミは携帯を置いて台所に戻ろうとしたが、「……あれ?」と思い、またちゃぶ台に戻る。携帯を再び手に取り、パカッと開けた瞬間。
「あっ」
と声が出た。
懐かしい画像。まだ「カガミちゃん」と呼ばれていた頃、署の近くの公園でかたつむりに夢中になって写真を撮っている姿を、ナカムラが撮影したものだ。そして、その数年後、ナカムラが自分の携帯の待ち受けにしていることを「自白」したのだった。……懐かしさと当惑に、カガミはナカムラの携帯を持ったまま、ぼうっと立ち尽くす。

「……ただいま?」
すぐ後ろで声がして、カガミは飛び上がった。
「な、ナカムラさん」
「どしたのよーチャイム鳴らしても出ないしさ……あ、それ」
ナカムラがカガミの手にした携帯を指さす。カガミははっと気がついて、ナカムラの手に携帯を渡した。
「ナカムラさん、まだその待ち受け使っていたんですか」
「あ!ハ、ハハハ、そうなんだよねぇ、ほらほら、以前カガミに良いよって言ってもらえたからさぁ。他に使いたい写真もないしさぁ……えっと、まずかった?いいよね?」
「ナカムラさん」何をどう答えていいのか、ちょっとの間、頭が回らなかった。
ほんとに、このひとは。
「勿論です。いえ、懐かしくて、それにあれからだいぶ経つのに、今でも待ち受けにしていただいて、嬉しいです」
「よかったぁ、カガミいい顔で笑ってるよねぇ。おれ、カガミがうれしそうにしてるの見るのが好きなんだ。でもそんなのカガミはキモいのかな~なんて気になってさ。ふふ、良かった」
「はい、俺もずっと使ってもらってて嬉しいです」
顔をほころばせた途端、瞳からこぼれ落ちた。
「え、カガミ、泣いてんの?」
「あ、あれ?」ぽろぽろと止まらない涙に、カガミ自身も当惑する。
「やっだなあ、そんなに嬉しいの?照れるじゃない」ナカムラは、そんなカガミの背をぽんぽんとたたいて言った。「そんなに嬉しいなら、その泣き顔も撮っちゃうよー?ついでに待ち受けにしちゃおっかなあ~」
「い、いや、それは勘弁してください!!」
あわててカガミが叫ぶ。一瞬ののち、顔を見合わせ二人は吹き出した。
「はは、は……あ?おれ何しに家戻ってきたんだっけ」
「あっ、ナカムラさん、時間は」
「……え?ああっまずい、遅刻だー!」「ナカムラさん携帯を!」
ナカムラは、ばたばたと慌ただしくまた玄関を駆けだしていった。

はー、と息をつく。そして、
「……ありがとうございます」
カガミは、ナカムラの走り去った方角へ、頭を下げて呟いた。


機種こそ何度か変わったが、ナカムラの携帯の中にいるカガミは、いつも目を輝かせカタツムリにスマホを向けて笑っている。

地下へ

直通エレベーターが警視庁最下層へと辿りつく。
分厚い鋼鉄の壁で周囲の音が完全に遮断された空間で、自身の足音と衣擦れの音のみを聞きながら、長い廊下を目的の房へ向かう。
突き当りに立つ当直官にバッジを見せ、正面のドアが重低音を響かせ開いてゆくのを眺める。
入室し、さらにだだ広いコンクリート空間の奥、目指す男が待っていた。
「や、調子どう?」
ニィッと笑いナカムラがカガミに問いかける。
「ええ、おかげさまで」
冗談とも皮肉ともとれそうな返事をする。
「カガミ、ちょっと瘦せたんじゃない?ちゃんと食ってる?」
「べつに変わりないですよナカムラさん」

「で?なにか訊きたいことがあって来たんでしょ?」
「ええ、三年前にナミコシがあなたと最後に交わしたという電話について」


ナカムラが現・二十面相となり、わずか一週間で15人もの老若男女を殺害してからすでに三年が経っていた。犯行当時、ナカムラの上司でパートナーでもあったカガミ警視は、16人めの「断罪」を機関ヤタガラスのかかえる少年探偵アケチの助言を受けて阻止、ナカムラを捕縛。……が、その後も二十面相の出現は続いていた。

「でもね、二十面相は終わらないよ」


「昨日、三年前失踪したナミコシを名乗る人物がネット上に現れ、暗黒星の再起動を宣告しました。投稿された動画がこれです」
カガミは持参したタブレットPCの画面をナカムラに向けた。
「投稿時の声は加工処理されていましたが、ある程度の復元を施した結果、ほぼ彼に間違いないという判定結果が出ました。ナカムラさん、あなたがナミコシと交わした電話の内容について、もう一度詳しくお聞かせ願えませんでしょうか」
「うーん、もうかなりおぼろげになっちゃったなあ。わたしが逮捕された直後にとった調書見た方がいいんじゃないの?」
「当時のあなたの供述は、相当伏せられた部分があるように思えます……ああ、私が直接あなたの取り調べをすれば良かったのですが。私が担当から外されず、さらにトキコが拉致されていなければ」
「あぁそうだったねえ。妹さんは元気?」
「ええ、お陰様で。今はイタリアへ研修に行っています」
互いに気を許すことは無いようで、それでも時折、ふたりは過日のように言葉を交わす。


「ナカムラさん……なぜ」
目の前の光景が信じられず、カガミは立ち尽くす。
「あなた以前、自分だけで悪を認定して裁くなんて傲慢だ、と言った。なのに」
「だって、悔しがってたじゃん。捕まえても捕まえても、彼らは解放されちゃう、って。こないだも、ワタヌキに殴りかかってたでしょ?だめですよー取調中にそんなことしちゃ。わたしが抑えなかったら、もう一発殴ってたよね。そこまでしたら降格処分食らうよ?」
伏せていた顔を上げ、ナカムラはいつもと変わらぬ笑い顔で続けた。
「ま、でもね、警視は真っ正直すぎるけどそこが警視の良いところだもんね。それにね、警視があいつらに愚弄され続けるの、そろそろ我慢の限界だったしさ。だからさ、カタつけちゃったんだよ。まあ、見つかっちゃったし、もう、ここまでかな」
「私のせいですか?私が、あなたを犯罪者にしてしまったんですか」
「いやまあ、丁度良い頃合いだったんだろうねー。自分だけで、悪を認定するのはいかんでしょうが、警視もさ、彼らを世に再び解き放たれてしまうのが納得できないって言うからさぁ、それでね、ああもう我慢する必要なんて無いかなー、って思ってさ」
「ナカムラさん」
「だからさ、警視のせいじゃないよ。きっと、わたしはいつかはこうしてたんだよ」
「嫌です」
「警視?」
「嫌だ。どうして俺があなたを捕らえなきゃならないんだ。ナカムラさん私も」
「やめな」
ナカムラはカガミの目を睨み低く怒鳴った。
「おまえ、カッとなって撃とうとしたり殴ろうとしたり逃げようとしたり、いつまで新米気分でいるんだよ。おれはね、随分長く堪えてたんだ。それをお前みたいな若造がカンタンに真似しようなんざ冗談じゃないよ?」
凄みをきかせた声に思わずカガミがひるんだ。ナカムラはそれを見てまたへらっと相好を崩す。
「さあ、カガミ」
「もう、嫌ですナカムラさん」
「ホラ、駄々をこねないでさ。探偵さんに任せようなんて思うなよ。おまえが、おれに引導を渡すんだ」



ナカムラはカガミ警視により逮捕、しかし取り調べは手加減することが無いよう別の人間に任された。その頃すでに二十面相が広く世間より義賊扱いされており、処遇によっては騒動を引き起こしかねないと危惧されたため、ナカムラの身柄は新宿プリズンに移され外の目に晒されることはなくなった。ただカガミだけが、ナカムラの元を訪れる。



「ご協力ありがとうございます。では、いずれまた伺います」
「ふふ、お役に立てれば光栄至極。そんじゃあまたね、カガミちゃん。」

協力要請

(初出:privatter 2016-11-30)
「なんで睡眠薬と頭痛薬ひっきりなしに飲むの?体に良くないよー成長期なのに」
「何だいきなり」
「わざわざ海外から取り寄せてんでしょ。飲み方だってさ、いっつも噛み砕いちゃって、しかも缶コーヒーなんかで流しこんでー。飲み合わせとかさ、よくないんじゃない?」
「国内の薬は全く効かないからな。コレは機関直属の医師が処方したものだ、苦情は機関に言うんだな」
「まあ、お医者さんが指定した薬ならいいんだろうけどねえ、でも飲み方がねえー。カガミだってさ、以前心配してわたしにまで相談したりしてたんだよ」
「わざわざ俺の薬の飲み方をいさめに来たわけじゃないだろ、用があるならさっさと言え」

―これで、話す事は全てです。さあ、私を極刑に―

「…ね、あいつホントに全てを話したと思う?」
「さあな。お前はどう思うんだ」
「わたしゃね、あいつがあんなに手際よくやったってのがどうにも腑に落ちないんだよ。あいつってさ、勤勉だけどずいぶん不器用じゃない?」
「まあな、この事務所に来るときもよくあちこちの家具に足をぶつけたりけ躓いたりしてたしな」
「でっしょー!?G街歩いてる時もさ、すぐ絡まれて困ったりムキになったり、私がフォローすること結構あったんだよ。そんな奴がさ、予告までしてさ、相手に気取られずに近づいてあんなこった殺し方15件もやってのけたなんてねえ」
「だがな、あいつは時間かけてきっちり取り調べを受けたんだろ。あんたじゃあ手加減する可能性があるからって他の奴が担当したりしてたよな」
「さすが、よく知ってるねえ…まあ、仕方ないけどね。カガミと一緒に行動してた時間が長かったわたしは、疑いの目で見られてたくらいだし」
「それでもまだ疑う余地があるっていうのか」
「……んー、刑事のカン、ってやつ?」
「非論理的だな」
「そう言わないでさ、ちょっと考えてみてくれないかなあ。アケチ君だって3年もいっしょに仕事してたじゃない、あいつと。しかも事件の間だって15人殺害するまで見抜けなかったんでしょ?あららー、宮付き探偵の面目丸つぶれじゃないの」
「挑発してるつもりか?帰れ」
「それだけじゃないよぉ。アケチ君、原初二十面相の...ナミコシ君の行方が未だ分かってないでしょ?」
「だからなんだ」
「だからさ、現二十面相カガミに協力した勢力を探していれば、ナミコシ君の気配も漂ってくるかもしれないよ?ミナミ検死官も死んじゃって、今はカガミの自供にしか頼れない状態だけどさ、原初の一味が、カガミの犯行もナミコシ君の失踪にもかかわってたって線、わたしはどうしても捨てきれないんだよー協力してよ、探偵さん」

「ナカムラ、お前なんでいつも腹抱えてるんだ」
「……へ?何言ってんの唐突だなぁ、関係ないじゃない」
「言ったら協力してやる」
「んー弱ったなあーそれバラしちゃったら、わたしのミステリアスな魅力が半減しちゃわない?」
「何がミステリアスだ、胡散臭いの間違いだろ。だいたい警察の正式な依頼でもない事に協力させようって言うんだ、それくらい明かしたっておつりがくるくらいだぞ」
「わかったよ、べつに秘密ってわけでもないけどねー。前の職場でさ、発射されたガス筒が腹に当たって内臓破裂寸前になった事があったんだよ。それ以来腹かばう癖がついちゃって。そう、ただのクセだよクセ」
「以前お前は、上層部と議員の癒着を告発しようとして証拠不十分って事でうやむやにされていたろ。通常水平撃ちされることがないガス筒がお前の腹に当たったのはそれと無関係じゃ無いだろうな。しかもその事故前日には」
アケチはつかつかとナカムラに歩み寄り、こぶしをナカムラの腹にあてた。一瞬、ナカムラが息をのむ。
「すでに、相当ここに暴行を受けていただろ。事故はむしろその痕を隠すためだったんじゃないのか」
「……やっだなあ。どこで聞いたか知らないけど探偵さんもそんなウワサ?、鵜呑みにするんだねえ。んなこと無いですって」
へらへら笑って頭を振る。

「で、どう?」
「いいだろう、オレもあいつ自身がここへ来るまで気付かなかった訳だからな。協力してやる」
「助かるよー探偵さん。じゃ、よろしくねー」

ひらひら手を振り事務所の扉を閉じる。手すりに背を預け、取り出した一本に火を点け深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。闇の中で赤い光が明滅する。

「久しぶりだから、効くなぁ」

しばらく頭上の月を眺めた後、まだ長さが残る吸いさしを自販機前の灰皿に押し付けた。
おんぼろビルの照明は、だいぶ前から切れたまま。
響く自分の足音を聞きながら、ナカムラは真っ暗な階段を降りて行った。
 

現二十面相逮捕直前

(初出:privatter 2016-11-16)
「ナカムラ、お前も来るか?」
探偵さんはそう言っておれに目を向ける。
「いっやあ、おれが動いて、万一あいつに気付かれでもしたらマズイっしょ。それにさ、ヘタすりゃおれだって怪しまれる立場だもんね共犯として。仕事でこれだけつるんでたんだから疑われても無理ないしさ、状況スッキリさせるためにおれは置いてった方が良い。……それとね」
「なんだ」
うずきだした両の腕を抱え込みながら、おれはなんとか探偵さんの顔を見て言い継いだ。
「お願いがあるんだけどね。確保するまでの間、おれはこの取調室にこもってるからさ、外から鍵かけて君が選んだ見張りを1人立てといてほしいんだよ。おれが、誰とも接触できないように」
「……そうか。わかった」
「良かった、ありがとね」
「フン」
と素っ気なく返して、彼はすたすたと出て行く。

バタン

扉が閉ざされ、施錠の音が聞こえた。
両肘をついて俯く。なじみ深い机の表面に、幽霊のような自分の顔が映ってる。
あぁそういえば、おれはもともと幽霊みたいなもんだったな。

カガミと会ってから、ずっと忘れていたけど。

休暇

ナカムラさん、もう俺は、死刑が確定した人間です。そんな望みの無い人間のもとへ、ナカムラさんが日々、訪れてくださるのが、俺は正直辛いです。俺が犯罪者に堕ちるのを阻止できなかったと、あなたは負い目に感じているかもしれませんが、断じてあなたが責任を感じる事など無いのです。仕方ないことだったんですよ、俺はあの時ああするしかなかったのです。誰が止めても、たとえあなたであっても、俺は躊躇わず排除して、ことを成していたでしょう。……ああ、あの時、あなたが俺の前に立ちふさがらなくてほんとうによかった、あなたに手をかけてしまったかもしれないと思うと、今もこの身がすくみます。ナカムラさん、俺は未だにあの殺人の数々を本当には悔いてなどいないのです、おのれの罪を悔いようとしない彼らを可能な限り断罪し続けた傲慢な罪を、おれ自身も悔いてなどいないのです。ただ、あなたが、辛そうな顔をするから。あなたが俺に会いに来るたび、辛そうで、それでもそう思わせないように努めて話をするあなたの辛さが、俺にはすっかり透けて見えて。ああ、あなたが早く俺を見限ってくれればいいのに、ここに来るのをすっかり忘れてしまえばいいのに、と面会するたび思う日々で。ナカムラさん、忌まわしいあの日、早く帰ると言っておきながら遅くなってしまったのも、トキコを独りきりにして、およそあの子に相応しくない、酷い、おぞましい目に合わせてしまったのも、全ては、おれの愚かさのせいです。俺の自業自得の愚かさのせいで、あなたに辛い思いをさせる事になってしまってごめんなさい。でももう、俺に構わず、あなたを求めている他の多くの人々のもとへ帰って下さい。……ああ、でも本当にそんなことを言ってしまったら、あなたはますます気に病んでここに通い続けてしまうでしょうね。優しい、優しい、ナカムラさん、さようなら。どうか、はやく、はやく、俺の刑が執行されますように。……こんな罪人でも、もしも望みが叶うなら、一幅の絵の中で、トキコと俺が一揃いで宿り、動かぬ平穏な絵の中で、いつまでも、いつまでも、じっと静かに過ごしたい。身の程知らずな願いと判っていても、願うという事すら俺にはもう赦されないと思うけど、願わくば、もしも願いが叶うなら


ナカムラはすっかり顔なじみとなった看守から、カガミの過ごした独居房の寝台脇の壁に残された、遺書めいたものの存在を告げられた。許可を得て見たその壁に、ひっかき傷のように書き残された小さな文字をしばし立ち尽くし眺めた後、看守にすっかり消してしまうように頼んで、ひとり房を後にした。
「ばかだなあ」
誰に言うともなく呟いて、カガミが収容された病院へ向かう。猫背でうつむいたその顔は、うっすら笑いを浮かべていた。

食事を全く受け付けなくなったカガミは、強制的に栄養をやせ細った腕に流しこまれ呼吸器を取り付けられて横たわっていた。両腕両脚は自傷しないように、逃げ出さないように、寝台に括り付けられている。
「あーああ、かわいそうに。……カガミ、起きてるか?おれの声、聴こえる?」ナカムラがカガミに話しかける。睫毛がかすかに蠢くのを見てナカムラは言葉を続けた。「なあカガミ、壁に書いてあったの、読んだよー。……読んじゃってもよかったよね、おれ宛てだよね?」言いながら立てかけてあるパイプ椅子を引きだして腰かける。「おまえがおれと会うのが苦痛だって、おまえと会って苦痛を感じるおれと会うのが嫌だって、書いてあった。ごめんな、おまえなんにも食べれなくなって、挙句こんなになっちゃったのも、おれがおまえのしんどさを分かってやれなかったせいなんだよな。でもさ、悪いけどおれはまだまだおまえに会い続けたいんだよね。ねえ、カガミがいなくなったら嫌だよ。絶対に嫌だよ。でもおまえはきっと、おれに会わない方が良いと思い続けるんだよな。だからさ」ナカムラはやおらカバンから、望遠レンズ付きのカメラのようなものを取り出した。
「ねえカガミ、おまえ写真の中に入っちゃえよ。このカメラさ、望遠が逆になってるんだ。おまえの体がすっかりとレンズにおさまるように撮ってやるよ、おれ、こう見えても写真撮る腕前良いんだよ、誰も来ていない今のうちに撮ってやるよ、いいかい、はい、チーズ」
病室に、シャッター音が響く。ナカムラは塩梅を確認すると、満足そうに頷いてカメラを仕舞い立ち上がって、ドアのノブに手をかけた。回す前にいちど寝台を振り返り、にっこり笑い、そして、ドアを閉め出て行った。

「あ、ナカムラさん、ナカムラさんですよね?皆探してましたよー、どこ行くんです?」探偵助手が、列車の座席に居心地良さそうにおさまっているナカムラを見つけて声をかけた。
「おやあコバヤシ君、きみこそどしたの、探偵さんのお手伝い中かな?」
「はい、久しぶりに二十面相が出たらしいんですよ、センパイは模倣犯だって思ってるみたいですけど」
「ふーん、ごくろうさまー。わたしの後任もうまくやってるみたいだね、結構結構。わたしはね、ちょっと長旅に出るんでしばらく留守するよ」
「……ナカムラさん?隣の風呂敷、何です?」
「あっは、みる?」ナカムラは風呂敷の結び目を解いて、取り出した額を窓越しにコバヤシに見せた。
「わぁ、シロツメクサの原っぱですねー気持ちよさそうだなあ」言いつつ、おや、と首をかしげる。「この、花の横にみえるもの、何です?」
「ふふー、花の妖精みたいでしょ。写真を合成して仕立てたんだよ。いったん作ってみたら愛着沸いてねえ、旅先にも連れてっちゃおーと思ってさぁ」
「へえ、ナカムラさんてロマンチストなんですね。写真が趣味だったなんて意外だなあ」
コバヤシが興味深そうに写真の額に見入っていると、場内で発車を知らせる音楽が鳴り始めた。
「じゃあね、コバヤシ君。きみらと一緒になんやかや、あれやこれやしたの、なかなか楽しかったよーまたねえ、元気でねえ」ニッと笑いナカムラが言った。
「ハイ、僕もです。ナカムラさんたちも、良い旅を!」

ゆっくりと滑り出した列車の中、ナカムラはビールのプルタブを開け、誰にともなく話しかけた。「ふふ、やっぱりコバヤシ君はおもしろい子だねえ。きみらも、そう思うだろ?」
額の中、シロツメクサの花の横で、一対の小人がひっそりとくすくす笑い、草原の中に消えていった。

メモ:乱歩奇譚エンディングのアニメ

丁寧に見たことが無かったような気がして見直してみた。
順を追うと↓

コバヤシの手から蝶が飛び立つ
蝶がバタフライメモらしき冊子の上を掠めると、1ページ目が剝がれ飛ぶ
その紙に押される感じで、緊縛されている人々が将棋倒しになる
呪いに使う人型のようなものが将棋倒しになる
次に包丁や銃や金槌など凶器のようなものを持つ人々が将棋倒しになる
骸骨が将棋倒しになる
走るコバヤシ
うつしよは夢よるの夢こそまこと の文字がパタパタと表示される
バラバラの人体が積み重なっていく
人体で築かれた山
幾つもの人体の山が崩れ落ちる
そのそばで倒れていくのはビル群か
複数の蝶が巨大な一匹の蝶の形を成して飛び上がる
蝶たちの羽ばたきに押されるようにコバヤシが倒れる
飛び去る蝶の群れ
倒れかかったコバヤシをハシバが支える
同じように倒れかかる仮面をつけたナミコシを支えるアケチ
幻燈フィルムが終わった様にエンディングアニメも終わる

最後のナミコシとアケチの部分は、最初ナミコシの方が誰だかわからずワンピースのようなものを着たボブ頭の女の子のように見えていたなあ。
蝶の羽ばたきでバタフライメモのページが剥がれて人が次々倒れるというのはいかにもバタフライエフェクトを示しているけれど、最初の蝶がコバヤシの手から飛び立ったように見せているのがなんとも意味ありげに見せているなあ、とも。もう誰かが考察してるか、制作側でコメントしてるかもだけど。

喪失

(初出:privatter 2016-11-16)

「警視そこ危ないですよ、…って、ああ〜」

ナカムラが指摘した直後、かしいだ棚の書類は雪崩のようにカガミの頭上から降り注ぐ。
「大丈夫ですかぁ警視?」
「は、はい。少し驚きました」
床に尻もちをつき、ふるふる頭を振りながら返事をするカガミ。そこへひらり舞い落ちた一葉の紙。キャッチしてみると、それはかの人間椅子、あの教師自身が「作品」にされた写真だった。
ナカムラがひょいと覗き込む。
「おや、こないだの資料がこんなとこに?」
手にした写真を、カガミはじっと眺めて動かない。
「ああ、警視この写真苦手でしたね、わたしがしまっときましょう」
「得意な人などいませんよ…すみません、ここは私が片づけますから先に戻っていてください」
「あぁ失礼しました、カガミ警視」

***

切断された人体は、あの時が初めてではなかった。だが人間椅子の製作工程については、検屍官のミナミがとりわけ懇切丁寧に教示してくれたし、その後も私は彼女の熱心な生徒であり続けた。そして後日、私自身が実行する際にその成果が表れることとなる。

今にして思えば、かの人間椅子事件の時から、私の今ある姿は予定されていたのかもしれない。

***

「……やっぱり、手伝いましょう」

ハッと気が付くと、ナカムラの顔が目の前にあった。
「え……手伝うって、何を」
「何をって、散らばった書類を元に戻すんですけど。……おい、やっぱお前しばらく休め。持ってる仕事は、おれが何とかすっから」
ナカムラはぞんざいな口調に戻ってカガミの前髪をかき上げ掴み、目を覗き込んで言った。
「とにかく今日は、このまま帰れ。でないと手錠かけてパトカー押し込んででも送ってくぞ」

ナカムラさん、あなたは、毎日私が何をしているのかご存知ですか。

「……わかりました」
ゆらゆらと、私は忌まわしい自宅への帰り支度を始めた。
さっき、私は何を期待したのだろう。ナカムラさんが何を手伝ってくれると思ったというのだ。

すみませんナカムラさん。
私はもう、法で正義を守れるなどと信じてはいません。私は、あなたの背中を追い続けていた自分を、もう見失ってしまったのです。